ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という三つの宗教が交錯する聖地エルサレム。ここは単なる宗教的拠点に留まらず、国際政治の荒波に揉まれるパレスチナ問題の核心地でもあります。2019年現在、米国大使館の移転問題などで世界中から注目を浴びていますが、私たち日本人にとってこの街はどこか遠い存在に感じられるかもしれません。
しかし、中東史の大家である臼杵陽氏による著書は、そんな「遠さ」を払拭してくれます。本書は100年前に聖地へ足を踏み入れた文豪・徳冨蘆花を皮切りに、内村鑑三や遠藤周作といった知識人たちが、いかにこの神秘的な街と向き合ってきたかを鮮やかに描き出しました。歴史の中で日本人がエルサレムに抱いた熱い眼差しが、一冊の書物に凝縮されているのです。
知識人たちの眼差しと内なるオリエンタリズム
本書に登場するのは、熱心なキリスト教徒だけではありません。国家主義者の大川周明や特務機関に属した軍人、さらにはムスリムまで、多様な立場の日本人がエルサレムという「トポス(場所)」で何を考えたのかが考察されています。興味深いことに、彼らの聖地体験には純粋な信仰心だけでなく、当時の日本が抱えていた歪みさえも投影されているようです。
著者はここで「オリエンタリズム」という重要な概念を指摘します。これは西洋が東洋を偏った視点、すなわち「自分たちより遅れている」といった蔑視や勝手な幻想を持って見る姿勢を指します。2019年12月07日という現在から振り返るまでもなく、当時の日本の知性たちが無意識のうちに西洋側の価値観を内面化し、アラブの人々をどう捉えていたかが浮き彫りになります。
例えば徳冨蘆花は、絶対平和を説きながらもイギリスによる軍事占領を当然視する矛盾を抱えていました。また矢内原忠雄は、自身の信仰からユダヤ人の国家建設運動であるシオニズムを絶賛しています。一方で国家主義者の大川周明は、帝国主義の欺瞞を見抜き、シオニズムに対して批判的な距離を保ちました。それぞれの「立ち位置」が、聖地の解釈をこれほどまでに変えるのです。
現代へと繋がる聖地の鼓動と読者の反響
1980年代以降の著者自身の滞在経験もふんだんに盛り込まれており、歴史の変遷がより身近に感じられる構成となっています。SNS上では「中東問題が日本近代史と直結しているとは思わなかった」「自分たちが中東をどう見てきたかを知る鏡のような本だ」と、驚きと感銘の声が広がっています。学術的な深みがありながら、個人の物語としても楽しめる一冊と言えるでしょう。
筆者の考えとしては、エルサレムを知ることは日本人の自意識を再確認する作業に他ならないと感じます。20世紀から続くこの街への関心は、そのまま日本が世界の中でどう振る舞ってきたかを示す航跡図でもあるからです。過去の知識人たちが抱いた憧憬や偏見を理解することで、私たちは初めて、現代の中東情勢をフラットな視点で見つめ直せるのではないでしょうか。
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