徳川家康が認めた「金杉浦」の誇り!令和の東京湾で伝統を繋ぐ江戸前漁師の物語

お正月の食卓を彩るハゼの甘露煮は、江戸の情緒を感じさせる冬の風物詩です。晩秋に脂がたっぷりと乗った「落ちハゼ」を串に刺し、天日干しと焼きの工程を繰り返した後、12月28日の今日、大きな鍋でじっくりと甘辛く炊き上げます。

「身がホロリと取れて絶品なのよ」と、弾けるような笑顔で語るのは、江戸前漁師の鈴木晴美さんです。彼女の一家が拠点とする東京都港区芝の金杉橋周辺は、かつて「金杉浦」と呼ばれ、東京湾の内湾でも指折りの歴史を誇る漁師町として知られてきました。

金杉浦の漁師たちと徳川家の縁は、1590年(天正18年)まで遡ります。家康公の船が座礁した際、彼らが救出した功績により、水深がある場所ならどこでも漁をして良いという特別な許可、いわゆる「お墨付き」を拝領したという輝かしい伝説が残っているのです。

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近代化の荒波と漁業権放棄を乗り越えて

明治時代には、長い一本の幹縄に多くの枝縄を付ける「延縄(はえなわ)漁」が盛んに行われました。隅田川の河口で豊富な餌が取れたため、クロダイやウナギなど多種多様な魚が水揚げされ、後にアサクサノリの養殖でも黄金時代を築き上げたのです。

しかし、戦後の高度経済成長に伴う港湾開発が、漁師たちの運命を大きく変えました。1961年には東京港の拡張計画が策定され、都内17の漁協に所属する3500人以上の漁業者が、先祖代々守り続けてきた漁業権を全面放棄するという苦渋の決断を迫られたのです。

SNSでは「東京のど真ん中に漁師さんがいるなんて驚き」「歴史を絶やさない姿勢に感動する」といった声が寄せられています。環境汚染の影響で一時は衰退の危機に瀕しましたが、海を愛する人々の情熱は、決して潰えることはありませんでした。

晴美さんの父、春男さんも海に残り続けた一人です。水質が改善されると、許可の範囲内で行える「刺し網漁(魚の通り道に網を仕掛ける漁法)」などで漁を再開しました。その背中を見て育った晴美さんは、現在、息子の啓介さんと共に力強く船を出しています。

晴美さんは30代で船宿「辰春(たつはる)」を創業し、現在は週に数回、スズキやカサゴなどを追って大海原へ向かいます。山手線の車窓から見える金杉橋に並ぶ船影は、漁業権放棄から約60年が経過した今も、江戸前の魂が脈々と息づいている証なのです。

個人的には、都市開発と伝統文化の共存こそが、成熟した都市・東京の魅力だと確信しています。2020年の東京五輪を目前に控え、目まぐるしく変化する街並みの中で、変わらずに海と対話する金杉浦の漁師たちの姿は、私たちに大切な何かを教えてくれます。

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