経営の第一線を退き、会長という立場になると、多くの経営者のもとには「社外役員」の就任依頼が舞い込みます。2019年12月29日、TDKの元会長である澤部肇氏が明かしたエピソードは、まさに「経営のプロ」としての矜持と、後進に道を譲る難しさを物語るものでした。かつて社長として采配を振るった人物が、他社の役員会でどのような刺激を受け、自社と向き合ったのか。その舞台裏には、私たちが学ぶべき深い教訓が隠されています。
澤部氏が最初に声をかけられたのはAGC(旧・旭硝子)でした。当初、氏は「報酬なしなら」と辞退気味に返答したといいます。しかし、その後に打診のあった野村証券の古賀信行氏からは、「対価を受け取り、責任を持って仕事をすべきだ」と一喝されました。プロとして報酬を得ることは、その企業の未来に対して責任を負うという契約でもあります。SNSでも「プロの仕事への姿勢に痺れる」「無給は逆に無責任という指摘は鋭い」と、この決断を支持する声が多く寄せられています。
他流試合で見えてくる「強い組織」の絶対条件
社外役員を務めることは、自社の看板を背負って戦う「他流試合」のようなものです。澤部氏は、他社の取締役会を「TDKのレベルを疑われてはならない」という一心で、休日に資料を読み込み徹底的に予習して臨みました。ここで注目したいのが、海外の識者も交えた後継者育成に関する議論です。ある企業では、業績が悪くないにもかかわらず、次期社長候補を育てていなかったという理由で現職社長の報酬削減が決定されました。
コーポレートガバナンス(企業統治)という言葉が一般的になりましたが、これは企業が不正を防ぎ、中長期的な価値を高めるために管理・監督する仕組みを指します。澤部氏はこの経験を通じ、社長の真の仕事とは「次のリーダーを育てること」であると再認識させられたのです。SNSでは「後継者不在は経営リスクそのもの」「日本の経営者もここまで厳しく評価されるべきだ」という、組織の永続性を問う意見が目立ちました。
また、ある先輩経営者から「会長兼CEOという肩書は、権威を誇示しているようだ」と指摘され、即座にCEOの肩書を返上したというエピソードも印象的です。CEO(最高経営責任者)とは、企業の経営方針を決定し、実行する最高責任者のことですが、澤部氏は現場の指揮権を完全に後任の上釜健宏氏へ委ねることで、組織の透明性を高めようとしたのです。自身のプライドよりも組織の健全さを優先する、潔いリーダーの姿がそこにあります。
引き際の美学:書き溜めたアイデアを破り捨てた夜
他社で学んだ革新的な仕組みや多様な発想を目の当たりにすると、つい自社にも応用したくなるのが経営者の性でしょう。澤部氏も、次々と浮かぶ改革案をメモに書き留めていたといいます。しかし、毎週金曜日の夜、彼はそのメモを破り捨てていました。それは、現社長である上釜氏を全面的に信頼し、余計な口出しをしないという自分自身への戒めでした。
私がこの記事から強く感じるのは、真のリーダーシップとは「去り際」にこそ宿るということです。社外役員として学び続ける謙虚さを持ちながら、身内の組織に対しては「任せ切る」勇気を持つ。これこそが、組織を次のステージへと押し上げる原動力になるのではないでしょうか。2019年当時の澤部氏の葛藤と決断は、時代を超えて現代のビジネスパーソンの胸に響く、最高水準の「引き際の美学」といえるでしょう。
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