【私の履歴書】早稲田からTDKへ!澤部肇氏が語る「運と勘」で切り拓いたエレクトロニクスの道

1960年04月、早稲田大学政治経済学部の門を叩いた澤部肇氏の学生時代は、激動の「60年安保」の真っ只中にありました。周囲が学生運動に身を投じるなか、澤部氏は自らの行動を制限されることを嫌い、デモからも早々に引き揚げるような、極めて現実的な青年だったそうです。SNS上では「当時の熱狂に流されない客観性が、後の経営判断に繋がったのでは」という声も上がっています。

3年生になると、就職に有利と評判だった経営学の名門「古川ゼミ」を志望します。ここは成績表の「優」が40個以上必要とされる超難関でしたが、澤部氏の持ち札は30個程度でした。しかし、助手の不思議な一言に救われ、見事に合格を果たします。自分の実力を冷静に分析し、優秀な門下生の中で敢えて裏方仕事に徹する姿勢からは、組織における自身の立ち位置を見極めるセンスの片鱗が伺えます。

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「第二のソニー」という父の言葉と、勘違いから始まった縁

卒業論文のテーマに選んだのは、組織運営の肝となる「集権と分権」でした。これは本部へ権限を集中させる「集権」と、現場に裁量を与える「分権」のバランスを説く経営学の重要概念です。当時の学びが、後にTDKを率いる際の指針となったのは運命的と言えるでしょう。一方で就職活動は波乱含みで、第一志望だった商社に落ちた後、偶然にも東京電気化学工業(現在のTDK)との接点が生まれます。

実は、恩師が紹介してくれた会社は全く別の企業だったという、落語のような勘違いから面接が進みました。当時はまだ無名に近かった同社への入社を後押ししたのは、「四季報に『第二のソニー』とあるぞ」という父親の何気ないアドバイスでした。エレクトロニクスという未知の分野に、未来の可能性を感じ取った瞬間です。

入社後に判明した事実ですが、当時の試験成績は合格者平均をすべて下回っていたそうです。「完璧なエリートではないからこその強さがある」と、現代のビジネスマンからも共感のコメントが寄せられています。2019年12月05日に明かされたこのエピソードは、華々しい経歴の裏にある「人間味」と「時代の空気感」を鮮烈に伝えています。

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