逆境からの大逆転劇!TDK元会長・澤部肇氏がルクセンブルクで直面した「ないないづくし」の海外赴任サバイバル

1991年の春、のちにTDKの会長を務める澤部肇氏は、大きな不安を抱えながら欧州ルクセンブルクの地を踏みました。当時の彼は、自動車免許もなければ自炊や洗濯の経験も皆無、さらには本格的な営業や製造の現場も知らないという「ないないづくし」の状態だったのです。

50歳を目前にして教習所に通い、ようやく免許を手にしての単身赴任は、まさに手探りの連続でした。現地のアパートで洗濯機の使い方が分からず立ち往生していた際、近隣の日本人家族に助けられたというエピソードからは、仕事一筋で突き進んできた「仕事バカ」な一面が微笑ましく伝わってきます。

SNSでは「これほどの大物が最初は洗濯すらできなかった事実に親近感がわく」「今の時代では考えられないような体当たりの海外進出に勇気をもらえる」といった、驚きと共感の声が多く寄せられています。何もないところから道を切り拓く姿は、現代のビジネスパーソンの心にも響くのでしょう。

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想定外のトラブルと「クビ」の危機

澤部氏は利益を優先し、カセットとビデオの2ラインを同時に立ち上げるという強気の勝負に出ました。しかし、日本でのテストは完璧だったはずのビデオテープ製造ラインにおいて、製品がスムーズに動かない「走行不良」という致命的なトラブルが発生してしまいます。

ここでいう走行不良とは、テープがカセット内で正しく回転せず、再生や録画ができない状態を指します。2ライン分の投資をしたにもかかわらず、稼働できたのは1ラインのみだったため、初年度は膨大な赤字を抱えることとなりました。

日本本社では、当時の社長から「クビにしたい」という過激な言葉が飛び出し、役員会の間ではあまりの窮地に「澤部氏は自ら命を絶つのではないか」とまで噂されていたそうです。しかし、本人は現地で「いつかは直る」と冷静に構えていたというから驚きですね。

質素なクリスマスから掴み取った栄光

赤字続きで資金が底を突いていた1991年12月のクリスマス、澤部氏は苦渋の決断を下します。華やかなパーティーとは程遠い、装飾もない倉庫の中で、メニューは山盛りのサンドイッチと安価なビールだけという、あまりに質素な集いを開催したのです。

作業服のまま無言で参加する従業員たちの姿に、澤部氏はいたたまれない思いを抱きました。しかし、このどん底の状態から、原料を日本産に切り替えるなどの試行錯誤を経て、2年目には見事に黒字化を達成するのです。

私の意見としては、原因不明のトラブルに直面しても、決してあせらずに現場で解決の糸口を探り続けた彼の精神力こそが、成功の鍵だったと感じます。論理だけでは説明できない製造現場の「謎」を、執念で解き明かした結果と言えるでしょう。

激動のロシア市場進出と再起の喜び

ソ連崩壊という歴史のうねりの中で、ロシア市場が開拓されたことも追い風となりました。ビデオテープが高級品として飛ぶように売れ、収益は飛躍的に向上します。当時は輸送トラックが強奪されるような物騒な社会情勢でしたが、澤部氏は果敢に販路を広げていきました。

成功を収めた後のクリスマスパーティーは、1年目の惨状が嘘のように盛大で華やかなものとなりました。嫌味を言っていた本社の社長も手のひらを返したように労いの言葉をかけ、ようやく家族を呼び寄せて落ち着いた生活を送れるようになったのです。

困難を乗り越えた先にある景色を、自身の行動で証明してみせた澤部氏の物語。たとえスキルや経験が「ないないづくし」であっても、現場に寄り添い、信念を貫くことで道が開けるという教訓は、いつの時代も変わることのない真理だと言えるでしょう。

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