忙しい毎日に追われていると、ふと「何のために頑張っているのだろう」と感じる瞬間はありませんか。そんなあなたにぜひ手に取っていただきたいのが、文豪・内田百閒の傑作『阿房列車』シリーズです。哲学者である野矢茂樹先生も憧れを抱くこの作品は、現代人が忘れがちな「本当の心のゆとり」を教えてくれます。SNS上でも「目的のない旅こそ究極の贅沢」「読むと不思議と心が軽くなる」と、時代を超えて多くの読者の共感を呼んでいる名作なのです。
そもそも「阿房(あほう)列車」とは、何のために走るものなのでしょうか。その答えは、驚くほどシンプルで大胆なものです。なんと、これといった用事もないのに、ただひたすら列車に乗ること自体を目的としています。観光地を巡るわけでもなく、現地の歴史を学ぶわけでもありません。百閒先生に言わせれば、旅先での見聞を広めるなど言語道断なのです。用事を持たずにただ揺られる心地よさは、私たちの凝り固まった心を優しく解きほぐしてくれます。
ここで、少しユニークな鉄道の歴史に触れてみましょう。作中には、短い路線として「御殿場線」が登場します。この路線はかつて東海道本線という日本の大動脈でしたが、丹那トンネルの開通によって主役の座を譲ることになりました。専門用語でいう「盲腸線(もうちょうせん)」、つまり行き止まりのようになって本線から孤立した路線へと姿を変えたのです。さらに戦争中の鉄材拠出により単線化されるという、ちょっぴり切ない過去を持っています。
しかし、そんな哀愁漂う御殿場線だからこそ、山間を走る風景には格別の風情が宿ります。特に山北から谷峨を経て駿河小山へと向かう道中、車窓から酒匂川を眺める瞬間は、何とも言えない楽しさに満ちあふれているのです。劇的な事件が起こるわけではないのに、なぜこれほど引き込まれるのでしょうか。それは、旅の相棒である「ヒマラヤ山系君」こと平山さんと百閒先生が繰り広げる、どこか噛み合わないおとぼけな会話があるからでしょう。
列車に揺られながらお酒を飲み、目的地に着いたらまた居酒屋で杯を交わし、翌日もガタゴトと音を立てる車内で泥酔する姿が描かれます。百閒先生の文章は、基本的には少し理屈っぽい性質を持っています。しかし、お酒が回って夜の静寂が訪れると、その理屈が心地よくもつれ始め、怪しくも妖艶な世界観へと変化していくのです。この文章の輪郭がくっきりと見えたり、あるいは朧げに揺らいだりする絶妙な塩梅こそが、彼の真骨頂だと言えます。
野矢先生は、私たちの人生もまた、この「阿房列車」のようなものではないかと語りかけます。私たちはつい「生きる目的」や「意味」を探してしまいがちですが、本来そんな高尚な目的など存在しないのかもしれません。むしろ人生は、阿房列車よりもさらに純粋な片道切符の旅なのです。なぜなら、私たちは元の場所へと帰る必要がなく、ただひたすらに未来へと進み続けるだけだからです。目的を捨てて今を楽しむ姿勢に、救われるような気がいたします。
2020年01月18日に綴られたこの深い考察は、効率ばかりを重視する現代社会への風刺のようにも聞こえます。何かの役に立つことだけが価値ではありません。たまにはスマートフォンの画面を閉じて、目的のない各駅停車の旅に出てみるのはいかがでしょうか。車窓の景色を眺めながら、ただ時間が流れる贅沢を味わうこと。それこそが、私たちが置き去りにしてしまった、人生という名の旅を最高に楽しむための秘訣なのかもしれません。
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