私たちが日本国民であることを証明する身近な仕組みが「戸籍」ですが、実は天皇や皇族の皆様にはこの戸籍が存在しないことをご存じでしょうか。2020年1月25日に紹介された遠藤正敬氏の著書『天皇と戸籍』は、そんな意外な事実を出発点に、日本社会における皇室の特殊な立ち位置を鮮やかに描き出しています。憲法で日本国の象徴と定義されている天皇家が、なぜ一般の仕組みから外れているのか、その歴史的な背景や皇室を取り巻く様々な制度を深く分析した一冊です。
インターネット上のSNSでも、この本をきっかけに驚きの声が広がっています。「日本を代表する象徴であるはずの天皇家が、国民の証明である戸籍を持っていないのは不思議だ」という純粋な疑問が多く見られました。さらに「当たり前だと思っていた制度を見直す良い機会になった」といった、日本の歴史や社会構造に改めて興味を持つユーザーの投稿が相次いでいます。このように、身近なテーマから国家の仕組みを考え直す読者が増えているようです。
そもそも戸籍とは、私たちがいつ、どこで生まれ、誰と家族になったのかを国が登録・管理する公的な制度を指します。いわば、民主主義社会において個人の権利や自由、平等を保障するための基盤となるものです。しかし、皇室の方々は戸籍の代わりに「皇統譜(こうとうふ)」という特別な名簿で管理されています。一般の法律が適用されない特別な血筋として扱われるため、私たちが当たり前に持つ「個人の自由」や「法の下の平等」という概念とは異なる世界に生きているのです。
ここで興味深いのは、現代社会で「理想の家族像」として語られがちな天皇家が、実は近代民主主義の基本原則から最も遠い場所にいるという矛盾です。メディアはしばしば仲睦まじい皇室の姿を家庭の模範のように報道します。しかしその実態は、私たちが享受している職業選択の自由や、結婚の自由が厳しく制限された特殊な環境と言えるでしょう。この構造的な違和感を鋭く突いた著者の主張には、思わずハッとさせられるものがあります。
私は、この本が提示する問題提起は非常に重要だと感じています。伝統を守ることの大切さを理解しつつも、個人の尊厳が重視される令和の時代において、特定の家系だけに自由や平等を制限する役割を担わせ続けるべきなのかは、深く議論されるべきではないでしょうか。皇室のあり方を単なる美談として消費するのではなく、私たち自身の社会や制度の歪みを映し出す鏡として見つめ直すことが、これからの日本社会には求められているはずです。
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