【国連からマニラへ】仕事と育児の両立を実現する児玉治美さんのキャリア戦略

国際社会の最前線で活躍しながら、自らのライフイベントにも果敢に挑む女性の生き方をご紹介します。NGO(政府から独立して社会課題に取り組む市民組織)である「ジョイセフ」での実績が評価され、児玉治美さんは憧れの国連勤務の切符を手に入れました。

バハマでの業務が一区切りついた2001年4月1日、彼女は国連人口基金(UNFPA)へと転職を果たします。UNFPAとは、世界の人口問題や母子保健の改善を目指す国際機関のことです。彼女の主な役割は、各国政府や議員への支援の働きかけでした。

しかし、人口問題は宗教的な背景もあり、人工妊娠中絶に反対する人々からの誤解や誹謗中傷を受けることも少なくありません。さらに、2001年1月20日にアメリカでブッシュ政権が発足すると、保守層の支持を理由に突然拠出金が停止されるという逆風に見舞われることになります。

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危機を乗り越える行動力

資金源を絶たれることは、多くの妊産婦や乳幼児の命が危険にさらされることを意味します。この理不尽な決定に対し、彼女はただ憤るだけでなく、具体的な行動に出ることを決意したのです。他国にこの流れが波及するのを防ぐため、各国の国会議員に支援の現場を直接視察してもらいました。

途上国で配布されている「分娩キット」は、出産用のビニールシートや消毒石鹸、へその緒を切るカミソリなどがセットになったものです。わずか1ドルという安価なキットですが、これが無数の母子の命を救っています。ザンビアやブラジルなどを訪れた議員たちは、その実態に深く感銘を受けていました。

残念ながら当時のアメリカからの資金援助は復活しませんでしたが、視察に参加した他国の議員たちが自国政府へ熱心に働きかけてくれます。その結果、失われた拠出金が見事に補填され、組織の尊い活動は守られたのです。困難な状況でも諦めない彼女の姿勢には、本当に頭が下がる思いでしょう。

新たなステージと育児への挑戦

その後、2008年4月1日にはアジア開発銀行(ADB)へと活躍の場を移します。ADBは、アジア・太平洋地域の経済成長や貧困削減を支援する国際金融機関です。この転機の背後には、40歳を目前にして「子どもを持ちたい」という強い願いがありました。

年齢的なタイムリミットを考慮し、彼女は25歳年上の元上司と結婚するとともに、体外受精の道を選択します。体外受精とは、卵子と精子を体外で受精させてから子宮に戻す不妊治療の一種です。見事に治療は成功し、彼女は愛らしい双子の男の子を授かりました。

しかし、ニューヨークでの生活は家賃とベビーシッター代で月に80万円近くもかかり、経済的な負担が重くのしかかります。そこで、仕事と子育ての両立を目指して選んだのが、マニラに本部を置くADBへの転職でした。マニラであれば、住み込みの家政婦を雇う環境が整っていたからです。

実際にマニラへ移住した彼女は、2人の家政婦を雇い入れて家事をすべて任せる体制を整えました。双子のうち1人は2歳の時に自閉症(対人関係やコミュニケーションに困難を伴う発達障害)と診断されましたが、理解ある家政婦たちの温かいサポートのおかげで、のびのびと成長できたそうです。

現代のビジネスパーソンへの示唆

この記事が公開された2020年2月6日現在、SNS上でも大きな反響を呼んでいます。「国境を越えたキャリアと育児の両立に勇気をもらった」「自分もこんな風に柔軟に生きてみたい」といった共感の声が、連日のようにタイムラインを賑わせているのです。

一人の編集者としての私の意見を申し上げますと、彼女の決断力と柔軟な発想は、すべての働く人にとって素晴らしいお手本になると考えています。目の前の壁にぶつかったとき、環境のせいにせず、自ら道を切り拓く強さは、変化の激しい現代社会を生き抜くための最強の武器となるでしょう。

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