ビジネスの現場では、時に大きな決断が未来を切り拓くことがあります。大和証券グループのトップを務めた鈴木茂晴氏の回顧録からは、まさに企業の命運をかけた劇的なドラマが伝わってきます。1998年に住友銀行と共同で設立した投資銀行「大和証券SMBC」は、10年の節目を迎えたころから、お互いの方向性に少しずつズレが生じ始めていました。
投資銀行とは、企業の大規模な資金調達やM&A(企業の合併・買収)をサポートする専門性の高い金融機関のことです。ネット上では「当時の金融界のパワーバランスが垣間見える」「大和側のプライドと銀行側の思惑のぶつかり合いがリアル」といった声が上がっており、組織同士の連携がいかに繊細で難しいものであるかに多くの関心が集まっています。
当初は順調だった協力関係ですが、時間の経過とともに銀行側から運営に対する要望が出始め、特に出資割合の変更を巡る議論は平行線をたどりました。大和証券側としては、自社の経営権やグループの主導権を手放すような条件を認めるわけにはいきません。お互いの専門知識に対するプライドもあり、両者の溝を埋めることは容易ではありませんでした。
そんな中、2008年に世界的な経済危機であるリーマン・ショックが勃発します。この大激震をきっかけに、競合ビジネスには関わらないという暗黙の了解が揺らぐ事態が発生しました。パートナー側が別の証券会社を買収する動きを見せたことで、鈴木氏は大きな転換期が訪れたことを確信します。ビジネスにおける「譲れない一線」を守るための決断の時でした。
鈴木氏は2009年12月、総額2000億円弱で株式を買い戻し、合弁を解消して完全子会社化へと踏み切りました。SNSでは「この決断があったからこそ、今の大和証券がある」「お互いの発展のための前向きな別れだった」と評価する意見が目立ちます。結果として経営の自由度が高まった大和証券は、組織の士気が大いに高まることとなりました。
さらに鈴木氏の功績として忘れてはならないのが、社内の基幹コンピュータシステムを根底から新しくした大改革です。1985年から使い続けていた古い仕組みは限界を迎えており、不具合が起きないよう部分的な修正を繰り返しながら運用している状態でした。トラブルのリスクを恐れて歴代のトップが着手できなかった難事業に、鈴木氏は真正面から挑んだのです。
鈴木氏は万が一の事態に備え、あらかじめ予備の仕組みを構築した上で、本番の仕組みへと安全に入れ替える高度な手法を採用しました。この大規模な移行は見事に成功を収め、専門メディアから取材を受けるほどの高い評価を得ています。時代の変化を見極め、守るべきものと変えるべきものを明確に見分ける姿勢こそが、リーダーに求められる資質なのでしょう。
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