ニクソン・ショックの衝撃と昭和の株取引!鈴木茂晴氏が語る「場電」と三菱地所の大波乱とは?

1971年は現代の常識では考えられない熱気に満ちていました。証券会社の本店営業部には短波放送の株価情報が響き渡り、東京証券取引所と直結した黒い電話「場電(ばでん)」を囲んで怒鳴り声が飛び交う毎日です。「ここだけの話」を求めて机の下でひそひそ話をする姿も日常茶飯事でした。この独特な熱気に対して、SNSでは「今ではコンプライアンス的に完全にアウトだけど、当時の泥臭いエネルギーが羨ましくもある」といった、驚きと羨望の声が上がっています。

新入社員として飛び込み営業を始めたばかりの私は、専門用語の壁にぶつかっていました。「ザラ場(定期的な株取引が行われている時間帯)」の「場味(相場の地合いや雰囲気)」を尋ねられても、言葉の意味すら理解できない状態だったのです。そんな駆け出しの時期に、日本の金融界を揺るがす最大の洗礼を受けることになりました。それが、1971年8月15日に発表された「ニクソン・ショック」です。米国のニクソン大統領が金と米ドルの交換停止を突如宣言した出来事でした。

出社すると、先輩たちが場電の周りで大騒ぎしていました。ドルと金の交換停止が日本株にどう影響するか、誰も予測できません。その時、一人の先輩が「これからは土地の時代だ!」と叫んだのです。当時は土地といえば三菱地所が代表格でした。先輩たちは次々と数万株単位の買い注文を出し、会社全体で100万株もの注文が集まりました。9時に取引が始まると、パタパタと音を立てて株価が変わるボードを全員が見つめます。しかし、ようやく付いた初値はまさかの大幅安でした。

株価は下がり続け、場電の周りからは瞬く間に人がいなくなりました。注文をめぐって「買うと言った」「いや忘れた」と責任を押し付け合う様子は、まるでコントのようでした。このニクソン・ショックにより、日経平均株価はわずか10日間で2740円から2162円まで急落したのです。私が初めて獲得したお客様も、注文直後に大暴落に巻き込まれてしまいました。決済までの4日間に猛烈な含み損(未確定の損失)を抱え、生きた心地がしませんでしたが、無事に入金されたときは救われた気持ちでした。

当時の上司は「日本株は長期の低迷期に入る」と悲観していましたが、年末には国際的な通貨調整や利下げによって株価は奇跡的に息を吹き返しました。相場を予測することの難しさは、時代が変わっても本質的には同じだと痛感させられます。激動の時代を生き抜くには、目先の暴落に惑わされず、大局的な視点を持つことが重要だという教訓を、この歴史的な大暴落は私たちに教えてくれています。ネット上でも「当時の先輩たちの決断力と、その後の手のひら返しがリアルで面白い」と話題です。

明けた1972年には田中角栄首相が誕生し、「日本列島改造論」を掲げたことで空前の投資ブームが巻き起こりました。日経平均株価は一気に5000円を超え、1日の出来高が10億株を突破して事務処理が追いつかず、取引が停止するほどでした。「絶対に確実」といった言葉が飛び交う無法地帯のような時代でしたが、そこには現代が失った圧倒的な活気がありました。コンプライアンスの遵守は当然ですが、当時の貪欲なエネルギーに見習うべき点もあるのではないでしょうか。

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