1906年(明治39年)という遥か昔、新潟県柏崎市の地で産声を上げた一軒の筆製造店がありました。それが、現在まで100年以上の歴史を紡いできた「小林文英堂」の始まりです。当時の柏崎は石油関連の事業で活気づいており、初代の小林多助氏は時代のニーズに合わせて、文房具から衣料品、はたまたタバコといった嗜好品までを幅広く扱う「よろず屋」へと業態を広げていきました。地域の人々の暮らしを支えるインフラのような存在として、同社は着実にその根を張っていったのです。
しかし、老舗の歩みは決して平坦な道ばかりではありませんでした。最初の大きな試練が訪れたのは、創業から半世紀を迎えようとしていた1952年(昭和27年)のことです。不慮の火災によって、大切にしてきた店舗兼社屋が跡形もなく焼失するという悲劇に見舞われました。しかし、この絶望的な状況こそが、同社を現代的な企業へと脱皮させる最初のきっかけとなります。翌年の1953年(昭和28年)に新社屋が完成すると、日本が高度経済成長期へと突き進む中で、同社は企業向けの事務用品販売へと大きく舵を切ったのです。
昭和から平成へと時代が移り変わり、オフィスにOA化(オフィス・オートメーション)の波が押し寄せると、小林文英堂はいち早くコピー機やワープロの販売に乗り出しました。OA化とは、コンピューターや情報機器を活用して事務作業を効率化することを指しますが、この先見の明が同社を支える柱となりました。ところが1990年代、今度はネット通販や大型ホームセンターという強力なライバルが出現します。この逆境に対し、4代目の小林英介社長は、競合であったアスクルの代理店になるという柔軟な決断を下し、危機を乗り越えていきました。
震災という絶望を「最強のチャンス」へ変えた100年目の覚悟
創業100年という節目を迎えても、英介社長の胸中は穏やかではありませんでした。古くなった社屋やマンネリ化した業務形態を前に、「このまま次の100年も生き残れるのか」という強い危機感を抱いていたからです。そんな矢先の2007年(平成19年)7月16日、新潟県中越沖地震が同社を直撃しました。木造倉庫は無残にも全壊し、社屋も半壊という甚大な被害を受けます。車中で一夜を明かし、変わり果てた街並みを見た社長の心に宿ったのは、不思議なことに絶望ではなく、ある種の「覚悟」でした。
「これを、新しい会社に生まれ変わるためのリセットボタンにしよう」。震災の翌日から、社長は「プロジェクト TaF(タフ)」という名の復興計画を練り始めました。これは「Traditional(伝統)」と「Future(未来)」の頭文字を合わせたもので、老舗の誇りを守りつつ、全く新しい価値を創造するという意志の表れです。SNS上でも「震災をリセットのチャンスと言い切る精神力が凄い」「これぞ真の経営者」と、その不屈の姿勢に多くの称賛の声が寄せられています。逆境を嘆くのではなく、変化の燃料にする力強さこそが、老舗の真髄と言えるでしょう。
このプロジェクトによって誕生した新社屋は、まさに「働き方のショールーム」でした。特定の席を設けない「フリーアドレス制」や、最新のITを駆使した文書管理システムを自ら導入したのです。訪れた顧客に対して「オフィスが変われば、皆さんの働き方も劇的に変わります」と実体験を持って提案するスタイルは、大きな反響を呼びました。単にモノを売る「事務用品店」から、快適な仕事環境をデザインする「オフィス・ソリューション企業」へと、同社は見事なパラダイムシフトを成し遂げたのです。
震災から12年が経過した2019年(令和元年)現在、小林文英堂の売上は約7割をオフィス関連事業が占めるまでになりました。Wi-Fi環境の整備から、教育現場へのICT(情報通信技術)機器の導入、さらには建物の内装工事まで、その活動領域は驚くほど広がっています。ICTとは、ITに「コミュニケーション」の要素を加えた言葉ですが、まさに同社は技術を通じて人と人をつなぐ役割を担っています。「地震がなければ、今の姿はなかった」と語る社長の言葉には、何事も捉え方次第で未来は変えられるという希望が満ちています。
編集者である私自身の視点から言わせていただければ、小林文英堂の歩みは、現代の全ビジネスマンにとっての「生存戦略」そのものです。伝統を守ることは、変化を止めることではありません。むしろ、伝統という土台があるからこそ、大胆なジャンプが可能になるのでしょう。2019年(令和元年)の今、働き方改革が叫ばれる中で、震災という試練を乗り越えて「真の働きやすさ」を追求し続ける同社の姿勢は、次の100年も多くの人々を惹きつけてやまないはずです。老舗の底力に、心からの敬意を表します。
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