日本全国に数多く存在するお城ですが、実は江戸時代以前に建てられた天守がそのまま残っているのは、姫路城や彦根城などわずか12城しかありません。私たちが日頃から親しんでいる多くの天守は、1960年代前後に鉄筋コンクリート造りで再建されたものなのです。SNS上でも「ずっと木造だと思い込んでいたので驚いた」という声や、「コンクリート造りでも街のシンボルとして愛着がある」といった多様な意見が飛び交い、大きな反響を呼んでいます。
昭和の築城ブームから50年以上が経過した現在、これらコンクリート造りのお城は建物の老朽化や耐震性の問題という大きな壁に直面しています。こうした背景から、近年では当時の姿を忠実に再現する「木造復元構想」が各地で注目を集めるようになりました。しかし、観光客の誘致を優先するあまり、史実に基づかない歪んだ再建が行われてきた過去も見過ごせません。天守にこだわるあまり、歴史を軽視してしまう傾向には疑問を感じざるを得ないでしょう。
城郭考古学の第一人者である奈良大学の千田嘉博教授は、かつて天守が存在しなかった城に模擬天守を設置したり、本来とは異なる場所に建てたりする事例があったと指摘しています。ここで言う模擬天守とは、歴史的な事実や資料に基づかずに想像で建てられた天守を指す専門用語です。千田教授は、天守は城のほんの一部に過ぎず、堀や石垣を含めた城郭全体を復元することこそが、本当の魅力を高める鍵であると熱く語っています。
歴史のロマンを感じるためには、単に見栄えの良い建物を造るだけでなく、城全体の遺構を大切にする視点が必要不可欠だと私は強く確信しています。例えば、豊臣秀吉が16世紀末に築いた大阪城は、戦火や落雷によって何度も天守を失ってきた波乱の歴史を持っています。記録によると、1665年の焼失を最後に天守は姿を消したままでした。そんな中、1931年11月7日に大阪市民の熱意ある寄付金によって、鉄筋コンクリート造りで奇跡の再建を遂げたのです。
この現在の大阪城天守閣は、国の登録有形文化財にも指定されており、市民の誇りとして深く根付いています。大阪城天守閣の担当者によると、現時点で木造での再みが検討されたことはないそうです。膨大な資金や確かな史料の不足、そして現在の文化財をどのように「保護」していくかという対立も含め、お城の復元には多くの課題が山積しています。歴史を正しく後世に伝えるために、私たちは今一度、お城の在り方を見つめ直すべきではないでしょうか。
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