源頼朝像は別人だった?神護寺の肖像画が明かす「強装束」の謎と足利直義説に迫る

誰もが歴史の教科書で一度は目にしたことがある、京都・神護寺が所蔵する高名な「源頼朝像」。しかし、近年の歴史研究において、この肖像画の主は鎌倉幕府を開いた源頼朝ではなく、南北朝時代の武将である「足利直義(あしかがただよし)」ではないかという驚きの新説が浮上し、今も熱い議論が交わされています。

この大胆な学説の強力な根拠となっているのが、描かれた人物が頭に戴いている「冠(かんむり)」の形状です。冠の後ろから垂れ下がる2本の紐のような飾りを「纓(えい)」と呼びますが、鎌倉時代の初期まではこの部分はただ自然に下へ垂らすスタイルが主流でした。

ところが、時代が進むと纓を冠の根元にある穴に差し込み、一度上方へ跳ね上げてから美しく湾曲させて垂らす様式へと変化します。この特徴的な形状が絵画に登場するのは室町幕府の第4代将軍である足利義持の像が最古とされており、頼朝が生きた鎌倉初期の流行とは一致しないのです。

さらに、冠を固定するために左右へ貫かれている髪ピンのような役割の「簪(かんざし)」にも注目してみましょう。ここに描かれている簪は直線的で非常に長いデザインですが、これも鎌倉初期の遺物や記録には見られない形式であることが判明しています。

この美術史を揺るがす大論争に対し、SNS上では「ずっと頼朝だと思って信じていたのにショック」「歴史の常識が覆る瞬間を見てワクワクする」といった、驚きと興奮が混ざり合った多くのコメントが寄せられ、トレンドを賑わせています。

身にまとっている衣服は、輪無唐草(わなしからくさ)という伝統的な植物文様が施された黒い「袍(ほう)」と呼ばれる上着です。これは宮中の儀式に参加する際の正式な正装である「束帯(そくたい)」姿であり、格式高い儀礼用の刀も腰に帯びています。

全体的にカチッとした直線的なシルエットが印象的ですが、これは絵描きによる誇張表現ではありません。平安時代後期から武士や貴族の間で大流行した「強装束(こわしょうぞく)」という、生地に強い糊を利かせて硬く仕立てるトレンドを忠実に描写したものです。

歴史物語『今鏡』の記述によると、当時は服の下に「肩当て」や「腰当て」などのパッドを仕込み、意図的にいかめしい体型を作っていたとされています。2020年01月24日時点でも現代の皇室などの束帯姿にその名残は見られますが、当時はさらに威厳に満ちていたのでしょう。

私は、こうした衣装のディテールから歴史の真実に迫るアプローチこそ、美術品鑑賞の醍醐味だと考えます。定説を疑うことで、当時の職人のこだわりや武士たちのファッションへの熱量がリアルに伝わり、歴史がより身近に感じられるのではないでしょうか。

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