寺脇康文の「ごちそう」人生!下積み時代のしゃぶしゃぶから水谷豊との超緊張の出会いまで、熱い役者の原点に迫る!

映画やドラマで熱血漢の刑事や家族思いの父親を演じ、情報バラエティー番組の司会としてもお茶の間に親しまれてきた俳優の寺脇康文さん。彼が役者としての階段を駆け上がっていく重要な局面には、いつも「しゃぶしゃぶ」という特別な料理が存在していました。SNSでも「寺脇さんの下積みエピソードに胸が熱くなる」「苦労を共にした仲間との絆が素敵」といった感動の声が数多く寄せられています。今回はそんな彼の食の履歴書から、知られざる役者魂に迫ります。

1962年生まれの寺脇さんの食の記憶は、生まれ故郷である大阪の駄菓子屋と実家のすし屋にあります。近所の駄菓子屋では、家族ぐるみの付き合いから店主のおばちゃんに可愛がられ、お菓子を食べ放題という夢のような幼少期を過ごしました。さらに実家は、当時としては大変珍しい女性のすし職人である母親が営むお店だったのです。母がキリッとすしを握る格好良い姿は彼の誇りであり、友人たちが集まる人気スポットとなっていました。

しかし、華やかな子供時代から一転し、役者を目指して劇団「スーパー・エキセントリック・シアター(SET)」の門をたたいてからは、過酷な下積み時代が始まります。食べるのにも困る日々の中で、彼がアルバイト先に選んだのはもっぱら賄い付きの居酒屋やスーパーでした。なかでもしゃぶしゃぶ店での賄い肉は、当時の彼にとって最高のごちそうだったそうです。ハングリー精神を養ったこの時期の経験が、今の演技の深みに繋がっているのでしょう。

劇団時代は先輩の存在が何よりの支えでした。後に演劇ユニット「地球ゴージャス」をともに結成する岸谷五朗さんと一緒に、座長の三宅裕司さんが帰るタイミングを狙っては「何か食べていくか」という言葉を引き出していたそうです。連れて行ってもらったすし屋で、岸谷さんがいきなり高級なウニを注文して三宅さんに突っ込まれる姿にヒヤヒヤしたという微笑ましいエピソードからは、当時の若手らしい初々しさが伝わってきます。

ごちそうしてもらうばかりだった若者も、やがて一人前の役者へと成長します。ついに三宅さんを東京・赤坂の和食店に招待し、土鍋の鯛めしや季節の刺し身を振る舞うことができた時、三宅さんから「おまえらにおごってもらうとはなあ」と言われ、少しだけ恩師に近づけた気がしたそうです。こうした師弟の美しい関係性は、現代のエンタメ界でも語り継ぎたい素晴らしい美徳であり、胸が深く打たれるエピソードではないでしょうか。

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自立の味とレジェンドとの遭遇

岸谷さんとともに劇団を巣立つ決意をした際、二人はこれからの夢を語り合うために新中野のしゃぶしゃぶ店に入りました。熱く未来を語り合う中、岸谷さんがふと「俺たち自分の金でしゃぶしゃぶを食べている」と気づいたのです。いつもカップラーメンや先輩の奢りに頼っていた若者が、自らの足で立ち始めたことを実感した格別の味でした。不安と期待が入り混じる中で噛みしめた肉は、まさにプロとしての自覚を促す一杯となったはずです。

さらに、彼にとって憧れの存在であり、後に大ヒットドラマ「相棒」シリーズで長年バディを組むことになる水谷豊さんとの初対面の場も、やはりしゃぶしゃぶ店でした。ドラマ「刑事貴族2」での共演が決まり、緊張のあまり約束の1時間前から正座で待機していたという寺脇さん。レジェンドを前にして「はい」としか返事ができず、料理の味を全く覚えていないというエピソードには、彼の誠実な人柄と作品にかける並々ならぬ熱量が溢れています。

2020年1月25日現在、寺脇さんは新たな舞台の稽古に全力を注いでいます。集中力を保つために稽古中は一切食事を摂らないというストイックな習慣を、駆け出しの頃から今もなお貫いているのです。だからこそ、全力を出し切った後の食事は最高のご褒美となります。「『おいしい』と感じられるのは生活が充実している証拠」と語る彼の言葉通り、食を通じて自分の歩む道が正しいと確認できる時間は、私たちにとっても活力になります。

ちなみに寺脇さんが博多を訪れる際に必ず立ち寄るのが、名店「味市春香 なごみ」です。サケのほぐし身とめんたいこが絶妙に調和した看板メニューの「鮭明太」を絶賛し、カウンターで隣り合った客とも気さくに交流を楽しんでいます。最後の晩餐には白いご飯と大好物の漬物セットがあれば十分と語る飾らない人柄こそが、多くのファンや共演者から愛され続ける最大の理由であり、彼の役者人生を輝かせている秘密なのです。

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