自分はいったい何者で、何を表現したいのかという深い葛藤は、多くの表現者が通る道でしょう。陶芸界の巨匠である十五代樂吉左衞門こと樂直入氏も、若き日は激しい自己懐疑の嵐に揉まれていました。1970年7月の熱い盛夏、大学3年生だった氏は、リュックサックを背負ってヨーロッパへと旅立ちました。当時、学生運動への傾倒を心配した父親が、日本から遠ざけるために旅費を工面してくれたのがきっかけという、一風変わった放浪の始まりだったのです。
最初に身を寄せたのは、フランスのパリで絵画を学んでいた3歳年上の友人、鳥羽智氏のつつましい屋根裏部屋でした。地下鉄の終着駅付近にあるその街は、夜になると怪しげな雰囲気が漂う場所でしたが、そこには文学を志す藤城参選氏も同居していました。彼らは狭い部屋で自らのベッドを樂氏に譲り、自分たちは床で眠るという温かいもてなしで迎え入れてくれたのです。この屋根裏部屋での熱い交流は、若き芸術家の心に深く刻まれることになりました。
パリを出発点として、ベルギーのブリュッセル、イギリスのロンドン、そして情熱の国スペインへと足を進めましたが、旅の明確な目的地はありませんでした。進むべき道が見えなくなると、田舎町の交差点でどちらに曲がるべきかさえ選べなくなるほど、心の中の疑念は膨らんでいったそうです。このように、ただの観光ではない「本当の自分」を模索する切実な旅の姿に対し、現代のSNS上でも「若き日の葛藤に深く共感する」「贅沢な自分探しではなく、命がけの模索だ」といった感動の声が寄せられています。
そんな暗闇の旅路の中で、樂氏の心を打ち砕くような決定的な瞬間が訪れました。スペインのプラド美術館で目にした巨匠ゴヤの「黒い絵」連作、そしてバルセロナでそびえ立つガウディ設計のサグラダ・ファミリア教会です。それまでは何かを美しいと感じても、すぐに自意識の疑念によって打ち消されていましたが、この2つの傑作を前にした時は、全身に鳥肌が立ち、言い訳のできない感動に包まれました。これこそが、他人の価値観ではない「自分自身の確信」を得た記念すべき第一歩となったのです。
伝統への反発を覆した、ローマでの雷を落とされるような出会い
その後、イタリアのローマへ向かった樂氏は、父親の紹介で裏千家ローマ出張所を主宰する野尻命子氏を訪ねることになります。当時の樂氏は、形ばかりで中身が伴っていないように思えた茶の湯の世界を意図的に避けており、「芸術大学を卒業してイタリアまで来て、なぜお茶の先生なのか」と、生意気な反発心を抱いていました。日本の伝統文化に対するこの冷ややかな視線は、若い表現者なら誰もが一度は抱く、至極自然な既成概念への抵抗だったのかもしれません。
しかし、当時35歳だった野尻氏の情熱は、そんな青年の小生意気なプライドを瞬時に粉砕しました。挨拶もそこそこに、フィレンツェでルネサンス期の画家マサッチオの傑作「楽園追放」などの主要な西洋美術を見たかと矢継ぎ早に質問を浴びせられたのです。何も見ていないと白状した樂氏に対し、野尻氏は「イタリアにいったい何をしに来たの!」と一喝しました。西洋の美術をすべて自分の眼で焼き付けてきた彼女の圧倒的な迫力を前に、樂氏は一言も返せませんでした。
この激しい洗礼は、まるで禅の修行における「お前はどこから来たのか」という本質的な問いかけのようだったと樂氏は振り返ります。形式的だと見下していた茶の湯の世界の先達から、逆に芸術への真摯な姿勢を突きつけられたこの瞬間こそが、その後の人生を決定づける運命の出会いとなりました。自分自身の足元を見つめ直す重要性を教えてくれるこのエピソードは、時代を超えて私たちの胸を熱く揺さぶります。
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