2020年2月4日、日本経済新聞の看板コラムであり、各界の著名人が自身の半生を綴る「私の履歴書」に、陶芸家の十五代樂吉左衞門(樂直入)氏の第4回が掲載されました。SNS上でも「伝統を背負う苦悩がリアル」「人間味あふれるエピソードに惹かれる」といった反響が数多く寄せられています。今回は、氏の少年時代から青年期にかけての葛藤と出会いについて紐解いていきましょう。
千利休の時代から約450年続く由緒ある京都の陶芸家、樂家の15代当主である氏ですが、幼少期から家業を強く意識していたわけではありませんでした。彼を芸術や文学の豊かな世界へ導いたのは、2人の個性的な小学校の恩師だったのです。音楽を担当していた青山翠先生は、赴任直後から型破りなスタイルで指揮をとり、少年にクラシック音楽の素晴らしさを教えました。
翠先生に連れられて行った円山公園での屋外コンサートは、彼にとって色褪せない大切な思い出となります。一方で高学年の担任であった浅野敏雄先生からは、宮沢賢治の詩集などを通じて文学の奥深さを学んだそうです。これらの文化的体験が、後の彼を形作る重要な土台になったことは間違いありません。素晴らしい指導者との出会いは、まさに人生の宝物と言えるでしょう。
名家に生まれた少年の苦悩と抵抗
しかし、成長とともに「家を継ぐ」という抗えない宿命が彼に重くのしかかります。両親は直接的な言葉を避けていたものの、周囲の大人たちからの無責任な声が、少年の心に重い鉛のように沈み込んでいきました。中学生の進路調査で、教師から将来を決めつけられた時の絶望感は計り知れません。他人に自分の人生を奪われたような感覚に陥るのも、無理からぬことです。
この重圧からか、高校時代は勉学から遠ざかり、成績も低迷してしまいます。しかし、進路選択の時期を迎え、彼は日本最高峰の芸術系国立大学である東京芸術大学の彫刻科を志望します。これは、父親の親友であった洋画家の井手宣通氏への憧れが影響していたようです。色彩感覚に自信が持てなかったため、あえて絵画ではなく彫刻を選んだという点も非常に興味深いですね。
当時の大学入試制度であった国立1期校の中でも、東京芸術大学は飛び抜けて難関でした。そのため、高校の担任や美術の教師からは厳しい言葉を投げかけられます。美術の成績が振るわなかった彼に対し、先生が内申書でひそかに配慮をしてくれたエピソードからは、不器用ながらも愛される彼の人柄が伝わってきます。周囲の人々の温かなサポートに心が温まります。
宿命を乗り越えて独自の世界へ
伝統ある名家に生まれるということは、特別な環境であると同時に過酷な試練でもあります。私は、彼が敷かれたレールにただ乗るのではなく、芸術という独自の道を模索しながら自らのアイデンティティーを確立しようともがく姿に、強い感銘を受けました。自己の運命と真摯に向き合い、葛藤を乗り越えていく過程こそが、真の表現者を生み出すのだと確信しています。
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