🚀 小売業界の革命児!ヤオコー会長が語る「社長交代」と「挑戦の軌跡」:苦難を乗り越え、いかにして売上500億円企業を目指したのか?【HISTORY暮らしを変えた立役者】

1985年1月、ヤオコーの歴史における大きな転換点が訪れます。当時専務であった川野幸夫氏が、実母であるトモ氏から、ついに代表取締役社長の座を引き継いだのです。これは突然のバトンタッチであり、ある日、母から「あんたが社長だよ」という一言で、その役割を託されたのでした。幸夫氏はそれまでも実質的に経営を担っていましたが、改めてその責任の重さを感じながら、スムーズな承継を果たしています。この時までに、氏がヤオコーに入社してから16年という月日が流れていました。

しかし、その社長就任の背景には、乗り越えがたい悲しい出来事がありました。1982年に、ヤオコーの基盤を築いた会長、祖父の清三氏が逝去されます。さらに同じ年の夏、幸夫氏の最愛の長男である正登(まさのり)くんが、わずか8歳で急逝してしまうという不幸に見舞われました。夏風邪が原因のウイルス性脳炎という突然の別れに、ご夫婦のショックは計り知れません。将来の後継者と目し、「あんたが社長になるんだよ」と可愛がっていたトモ氏も、初孫を失ったことで急に気力を失ってしまったといいます。この心痛な出来事が、幸夫氏への社長交代を促す一つの大きなきっかけとなったようです。

社長に就任した幸夫氏は、ヤオコーをさらなる成長へと導くため、積極的な店舗展開を推進します。年に2〜3店のペースで新規出店を進め、特に苦労を重ねた行田門井店(埼玉県行田市)も、この85年に無事開業を果たしました。就任前年の1984年には売上高が200億円を超える規模になっていましたが、氏は、これからのヤオコーの発展、そして将来的な株式上場を見据え、売り上げのさらなる拡大を目標に掲げました。

「ビジョンを持たない企業に将来はない。ヤオコーもこれから5年間が正念場になる」との覚悟を決め、幸夫氏は専務に就任した弟の清巳氏とともに、1985年に「中期5か年計画」を策定しました。当時の目標は、売上高500億円達成です。この売上規模は、食品スーパーが業界で「一人前」と認められるために必須のラインだと考えられていました。同氏は、食品スーパーとして生き残り、さらに成長するためには、一日も早くこの規模を達成したいという、並々ならぬ決意を胸に秘めていたのです。

中期計画の実現へ向け、ヤオコーは当時、画期的な新しい課題にも果敢に挑戦しています。一つが、食品スーパーの生命線とも言える生鮮三品(青果、鮮魚、精肉)の鮮度と価格競争力を高めるための仕組み、「プロセスセンター」の導入です。プロセスセンターとは、生鮮食品の加工を店舗ごとではなく、一箇所に集約して行う「生鮮加工センター」のことであり、品質の安定化やコストダウン、効率化に貢献する専門用語です。氏が社長に就任した年にこのプロセスセンターが稼働し、そのノウハウは最先端をゆくもので、企業規模から見ても先進的な施設だったと評判になりました。

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新しい流通への挑戦と苦い経験

さらに、1986年には「新しい流通のカタチ」として、会員制の無店舗販売「フレッシュヤオコー」をスタートさせました。これは、現代でいう「ネットスーパー」の先駆けとも言える取り組みです。三重県のスーパーサンシの高倉社長のアイデアを基にしたシステムで、ヤオコーの他にも、各地の老舗百貨店など有力小売企業がフランチャイジーとして参加しました。全参加社数二十数社の中で、ヤオコーはプロセスセンターの機能も活かし、トップクラスの売り上げを誇りました。このほかにも、世の中に「買い物難民」という言葉がまだなかった時代に、マイクロバスを改造した移動販売「お届けマート」も開始しています。

これらの取り組みは、お客様をただ店舗で「待つ」のではなく、企業側から積極的に「近づいていこう」という幸夫氏の強い顧客志向の表れでした。しかし、残念ながらこれらの挑戦はいずれも、当時は失敗に終わってしまいます。プロセスセンターでは、温度管理の徹底や適切な発注といった運用面の課題が露呈しました。また、無店舗販売の「フレッシュヤオコー」や移動販売の「お届けマート」は、いずれも採算を合わせることができませんでした。これは、大規模小売店舗法、通称「大店法」によって、思い通りに店舗を出店できないもどかしさや、焦りから、少しでも売り上げを確保しようとしたことが招いた苦い経験だったと言えるでしょう。

**【コラムニストの視点】当時のSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)は存在しませんが、もしあったとすれば、ヤオコーの「お届けマート」や「フレッシュヤオコー」といった先進的な取り組みは、「#移動スーパー」「#ネットスーパーの先駆け」といったハッシュタグで、「時代を先取りしすぎた挑戦」として、注目を集めたに違いありません。プロセスセンターの導入といい、幸夫氏の経営者としての凄みは、「常にお客様目線で、業界の常識に囚われずに新しい価値を提供しようとする、飽くなきチャレンジャー精神」**にあると感じます。失敗を恐れず、常に一歩先を行くその姿勢こそが、ヤオコーが「HISTORY暮らしを変えた立役者」となる原動力でしょう。失敗から学び、次なる成長への糧とすることが、真の革新者の姿なのです。

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