2019年04月下旬、作家のねじめ正一さんは、あまりにも突然の出来事に直面しました。6歳離れた大切な弟さんが「大動脈解離」によって、この世を去ってしまったのです。大動脈解離とは、心臓から全身に血液を送る最も太い血管の内壁に亀裂が入り、層が剥がれてしまう非常に危険な病気です。前触れもなく命を奪うこの病は、残された者に深い喪失感を与えます。SNS上でも「家族との突然の別れは、言葉にならないほど辛い」と、多くの共感と悲しみの声が広がっています。
ねじめさんは、弟さんが誕生した2019年から数十年も前の日々に思いを馳せます。当時、幼稚園児だった彼は、入院中の母親に会いたい一心で病院へ通い詰めました。新しい家族が増えた喜びよりも、母親を独占したいという幼い独占欲の方が、記憶に強く刻まれていたのでしょう。6歳という年齢の差は、多感な時期において決定的な違いを生みます。弟が小学校に入ると兄は中学生になり、弟が中学へ進む頃には兄は大学生というように、二人が眺める景色は常に重なることがありませんでした。
すれ違う視線と「心のズレ」が招いた兄弟の静かな距離感
取っ組み合いの喧嘩をした記憶がないほど、兄弟の間には穏やかで淡々とした時間が流れていました。しかし、それは裏を返せば、深い対話が欠如していたことを意味します。この「心の距離」が表面化したのが、お母様が病に倒れた際のことでした。ねじめさんは悲観的なあまり「母は難病に違いない」と思い込み、一方で同居して生活を支えていた弟さんは、冷静に母の日常を観察して楽観視していたのです。お互いの見解が食い違ったまま、本音をぶつけ合うこともありませんでした。
幼少期から積み重なったわずかなズレは、年月を経て修復しがたいほど大きな誤解へと姿を変えていきました。互いの言葉に耳を傾ける機会を失い、いつしか心は離れてしまったのでしょう。弟さんは、遠足の数日前からバス酔いの予感に怯えるほど、神経の細い繊細な少年だったといいます。当日、案の定青ざめた顔で先生に連れられて帰ってくる姿を思い出す時、ねじめさんの胸には、その繊細な心に寄り添おうとしなかった兄としての後悔が、波のように押し寄せているはずです。
私はこの記事を読み、家族だからこそ「言わなくても伝わる」という過信が、取り返しのつかない空白を生む怖さを感じました。2019年07月13日というこの節目にねじめさんが綴った言葉は、身近な人との対話を怠ってはならないという警鐘のようにも響きます。共有すべきだった風景を独り占めしてきた兄としての自責の念は、読者の心に深く突き刺さります。もし大切な誰かと疎遠になっているのなら、手遅れになる前に、ほんの少し勇気を出して言葉を交わしてみるべきではないでしょうか。
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