辻真先が語る創作の原点!黒澤明への情熱と「ジャングル大帝」を生んだ熱狂の少年時代

日本のアニメーション界やミステリー界を牽引し続ける巨匠、辻真先さんが自らのクリエイティビティを育んだ幼少期の記憶を語ってくださいました。1932年に生を受けた辻さんが物心ついた場所は、愛知県名古屋市の中心地である栄町です。実家がおでん屋を営んでいた影響もあり、日常的に大人たちに囲まれて過ごしていたといいます。周囲に遊び相手となる子供がいない環境が、結果として彼を物語の世界へと強く引き寄せることになったのでしょう。

当時の辻少年が放課後に入り浸っていたのは、実家と背中合わせに位置していた新刊書店や古書店でした。わずか5銭や10銭で手に入る漫画本から、背伸びをして手に取った大人向けの小説に至るまで、あらゆるジャンルを立ち読みで走破したといいます。特に吉川英治作品への傾倒ぶりは凄まじく、あらすじを追うだけでは満足できず、自ら続編を執筆してしまうほど熱中していました。この早熟な創作意欲こそが、後の大脚本家の片鱗であったに違いありません。

物語への関心は紙の上だけに留まらず、辻さんは多趣味な少年としても知られていました。手先は決して器用ではなかったそうですが、模型製作や鉱石ラジオの組み立てに果敢に挑戦していたそうです。鉱石ラジオとは、電源がなくても電波を直接拾って音を鳴らす原始的な受信機のことで、当時の少年たちにとっては科学の象徴でした。また、路面電車の運転士に憧れたことがきっかけで、現在で言うところの「鉄道ファン(テツ)」の先駆けのような活動も始めていたようです。

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黒澤明への心酔と脚本家への第一歩

第二次世界大戦の終結直後、辻さんの情熱は映画の世界へと一気に加速していきます。まだ中学生という若さでありながら、脚本を学ぶ勉強グループに参加するという行動力を見せました。そこでバイブルとなったのが、日本映画界の巨匠・黒澤明監督が公募で入選した脚本「雪」です。掲載された雑誌がボロ雑巾のようになるまで読み込み、カット割りや画面構成を練る「コンテ」の工夫を凝らす毎日に明け暮れていました。

SNS上では、この若き日のエピソードに対して「中学生で黒澤脚本を読み解くとは恐ろしい才能だ」「好きを形にする力が今の創作にも繋がっている」といった驚きの声が多数寄せられています。当時のオフ会(対面での集まり)では、周囲の大人の脚本志望者たちから、そのあまりの熱量と物怖じしない姿勢に呆れられてしまったそうです。しかし、無知と無恥を恐れずに突き進む姿勢こそが、新しい文化を創り出す原動力になるのだと強く感じさせられます。

人生で最も映画館へ足を運んだ時期が、意外にも大学受験の年だったという点には驚きを隠せません。その後、名古屋大学へ進学した辻さんを待ち受けていたのは、映画鑑賞の時間が確保できないという切実な悩みでした。さらに、卒業論文のテーマを大好きな黒澤明に設定しようとしたところ、当時の国立大学では「映画ごときで論文は通らない」という高い壁に直面してしまいます。学問としての映画がまだ認められていなかった時代の苦労が伺えますね。

しかし、辻さんはそこで諦めることはありませんでした。「羅生門を媒介とする芥川龍之介と黒澤明の研究」という、文学と映画を巧みに融合させたテーマへと偽装することで、見事に大学側を納得させたのです。この知略と情熱があったからこそ、後に「ジャングル大帝」や「巨人の星」といった不朽の名作脚本が誕生したのでしょう。2019年08月05日現在の視点から振り返っても、彼の歩んできた道はまさに日本サブカルチャーの歴史そのものです。

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