2019年6月12日、惜しまれながらこの世を去られた作家の田辺聖子(たなべせいこ)さん。ユーモアと人情味あふれる作品の数々は、多くの読者を魅了し続けています。そんな「お聖さん」の感性の源は、生まれ育った大阪市福島区の地に深く根ざしていると言えるでしょう。福島区は、現在の大阪の主要な繁華街である梅田のすぐ西隣に位置しています。田辺さんは幼少期、同居されていた曽祖母から、火鉢のそばで「家康のタヌキ親父がかわいそうな後家はんと小ちゃい子供をたぶらかし、大阪城を落としてしもたんだす」という、徳川家康の狡猾さを強調するような物語を聞かされて育ったそうです。
これは、大阪の人々が豊臣秀吉、通称「太閤(たいこう)はん」をどれほど愛し、親しんでいたかを示す興味深いエピソードです。田辺さんは生前、本紙の「私の履歴書」で、大阪の人々の太閤びいきの理由を解説されていました。その背景には、貧しい生活から天下人へと駆け上がった秀吉の「景気の良さ」や、華やかで派手好き(キンキラ趣味)な人柄が、大阪人の嗜好によく合致していたことがあるとしています。ちなみに、阪急電鉄や宝塚歌劇団の創業者で知られる小林一三(こばやしいちぞう)氏もまた、壮大な構想のもと次々と事業を拡大したことから、「イチゾはん」と親しまれていたそうです。大阪では、論理や理屈よりも、人情や感情を重んじる気風が古くから息づいています。
田辺さんの幼少期は、いわゆる「大大阪(だいおおさか)時代」の熱気が残る頃でした。これは、新しい産業が栄え、交通網が整備され、大阪が日本一の都市として活気に満ちていた時代を指します。さまざまな文化がごった煮のように混ざり合う中で、田辺さんは、落語、漫才、歌舞伎、浄瑠璃といった伝統芸能から洋画に至るまで、多様な芸術に触れ、その感性を磨き上げました。この「ごった煮」のような文化体験こそが、長年にわたる田辺さんの創作活動の揺るぎない土台となったことは間違いないでしょう。その豊かな感性は、大阪という街の情熱的なエネルギーと見事に共鳴していたのです。
現在、大阪の街は再び大きな変貌を遂げようとしています。2025年の大阪・関西万博開催に向けて、キタ地区では高層ビルの建設がさらに進み、街の景観は日々変化しています。また、黒門市場や主要なデパートなどでは、外国人観光客の訪問がますます増加することが見込まれています。このような国際色豊かな交流や、人々の新たな出会い、そして別れといった出来事の数々は、きっと将来、新しい歌や物語として昇華されていくに違いありません。田辺さんの作品がそうであったように、人の心に響く表現は、時代が変わっても必ず求められます。天国から「お聖さん」も「はよ、読みたいわー」と、後進の作家たちに力強いエールを送っているのではないでしょうか。
コメント