大本営発表の嘘と「散るぞ悲しき」の真実。現代のフェイクニュース時代に語り継ぐべき教訓とは?

2019年08月06日の広島、9日の長崎、そして15日の終戦記念日と、今年もまた日本人にとって深い意味を持つ8月が過ぎ去ろうとしています。戦争の記憶を持つ方々が年々少なくなる中で、かつては夏の風物詩とも言われた戦争報道も、一昔前と比較すると随分と影を潜めてきたように感じられます。しかし、平和な日常に慣れきってしまった今こそ、あえて当時の人々の心の内を覗いてみる必要があるのではないでしょうか。令和という元号の由来が万葉集であったことにちなみ、私は昭和16年から20年の短歌を収めた『昭和萬葉集』を手に取ってみました。

そこには、日米開戦の動揺から銃後の厳しい暮らし、戦場の過酷な現実、さらには戦争そのものへの疑念まで、当時の日本人が抱えていた偽らざる心模様が刻まれています。それはまさに、死と隣り合わせにいた人々による切実な挽歌、つまり故人を悼む歌の集積と言えるでしょう。フィリピン戦線に送られた作家・野間宏氏が詠んだ、昼夜を問わず虫に責め立てられる地獄のような惨状を綴った一首からは、現代の私たちが想像もできないほどの苦悶が伝わってきます。戦場とは、まさに言葉を失うほどの極限状態だったことが伺えるのです。

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改ざんされた辞世の句。軍部が隠したかった不都合な真実

太平洋戦争において屈指の激戦地となった硫黄島で、総指揮官を務めた栗林忠道中将の辞世の句は、多くの人々の心に刻まれています。「国の為 重きつとめを 果し得で 矢弾尽き果て 散るぞ悲しき」。ノンフィクション作家の梯久美子氏が著書のタイトルにしたことで広く知られるようになったこの歌ですが、実は発表当時、最後のフレーズは「散るぞ口惜し」と書き換えられていました。国のために命を捧げる兵士が「悲しい」と漏らすことは、当時の軍部にとって許しがたい弱音とみなされたのです。私は、この改変の痕跡を確かめるべく、当時の新聞を紐解きました。

1945年03月22日付の日本産業経済(現在の日本経済新聞)の朝刊には、「硫黄島遂に通信絶ゆ」という衝撃的な見出しが躍っています。大本営発表、すなわち戦時中に陸海軍の最高司令部が発表した公式情報を報じる記事では、栗林中将が白刃を手に斬り込んだという勇ましい姿が強調され、辞世の句も軍の意図通り「口惜し」と記されていました。さらに、補給も武器もないまま戦ったことを意味する「徒手空拳」という表現も、軍部への批判に繋がることを恐れて完全に削除されていたのです。都合の悪い情報を隠蔽し、操作する組織の体質が浮き彫りになっています。

情報操作を見抜いていた庶民の知恵と、現代に繋がる警鐘

しかし、当時の国民は決して盲目ではありませんでした。公式発表が伝える「敵兵3万3千を殺傷」といった景気の良い数字を、多くの人々は冷ややかな目で見ていたはずです。メディア史の研究によれば、1942年06月のミッドウェー海戦での大敗北も、大本営が勝利を捏造した一方で、主力空母を失ったという噂は人々の間で密かに共有されていました。このように、国家が情報を独占しようとしても、真実の断片は必ずどこからか漏れ出し、人々の耳に届くものです。私たちは情報の「真空状態」など存在しないという教訓を、歴史から学ばねばなりません。

ひるがえって現代を見渡せば、戦時下ではないはずの民主主義国家においてさえ、公文書の改ざんという耳を疑うような不祥事が起きています。これはもはや「大本営発表」以下の失態であり、官僚組織の信頼は地に落ちたと言わざるを得ません。SNS上では、事実かどうかも怪しいフェイクニュースが飛び交い、国際社会では国家レベルのサイバー戦争や情報工作が繰り広げられています。かつての軍部が歌の一文字を書き換えたように、現代でも情報は常に誰かの意図によって操作されるリスクに晒されているのです。情報の受け手として、私たちは常に「疑う力」を養う必要があります。

『昭和萬葉集』の中には、体制に阿ねる、つまり相手に気に入られようと機嫌をとる記事を書き続けなければならなかった当時の記者の悲哀を詠んだ歌も残されています。情報を伝える側も受け取る側も、思考停止に陥った瞬間に、また同じ過ちを繰り返すことになるでしょう。SNSでは「今の時代も大本営発表と変わらない」「真実を見極める目を持たなければ」といった切実な声が寄せられています。情報に溢れる現代だからこそ、栗林中将が「悲しき」という言葉に込めた真実の重みを、私たちは忘れてはならないのです。

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