東京・神保町の古書店街。その一角にある古びた雑居ビルの3階に、一風変わった学び舎が存在します。1969年に産声を上げた「美学校」は、いわゆる学校法人の枠に収まらない美術の私塾です。入学試験もなければ、卒業しても公的な資格は得られません。しかし、この場所からは半世紀もの間に約4000人の表現者たちが羽ばたいていきました。1期生として入学し、2000年からは代表を務めている私は、この不思議な空間の灯を守り続けています。
SNS上では「ここに行けば人生が狂う(褒め言葉)」「学校というよりは梁山泊のよう」といった声が絶えません。設立当初は大学紛争の真っ只中で、ドロップアウトした若者たちが技術を習得する場として構想されました。当時のキャッチコピーは「第一義として技にこだわる」という硬派なものでしたが、実態はもっと自由で混沌としていたようです。政治活動に身を投じる者やコミューン運動に勤しむ者が集い、単なる技術習得を超えた熱気が渦巻いていました。
伝説の講師陣と「千円札模写」が教える真の芸術
私が門をたたいたきっかけは、現代思潮社の本に挟まれていた一枚のチラシでした。1969年当時、私は特に美術に情熱があったわけではありません。ただ、働きたくないという一心で、今の日常とは異なる景色を求めていただけなのです。しかし、そこで待ち受けていたのは、赤瀬川原平氏や渋澤龍彦氏、唐十郎氏といった、文学や演劇界の巨星たちによる刺激的な講義でした。彼らの放つオーラは、絵に興味がない若者の心をも強く惹きつけたのです。
授業の内容もまた、常識の斜め上を行くものでした。例えば、千円札を精巧に模写して「通貨及び証券模造取締法」に抵触し、裁判沙汰となった赤瀬川氏が、生徒に千円札を描かせるといった具合です。これは現代美術における「模写」や「レプリカ」という概念、さらには権力への問いかけを実践的に学ぶ機会でもありました。講師が一方的に知識を授けるのではなく、受講生からも活発に意見が飛び交う。そんな闊達な空気こそが、美学校の真骨頂といえるでしょう。
三度の倒産危機を乗り越え、多様性が交差する現代の居場所へ
時代の変遷とともに、美学校は幾度も存続の危機に立たされました。1990年代には赤字が続き、1999年には一度閉校が決まったこともあります。それでも私が引き継いだのは、こうした「逃げ場」であり「遊び場」である場所を一度失えば、二度と再建できないと直感したからです。2000年代以降は会田誠氏や久住昌之氏など、時代の先端を走る表現者を講師に招きました。儲けよりも「楽しさ」を優先する姿勢は、今も昔も変わりません。
2019年10月29日現在、美学校には10代から80代まで、職業も国籍もバラバラな人々が集っています。音楽やメディア表現など、時代に合わせた30以上の講座が展開されていますが、その本質は「教育」ではないのかもしれません。既存のシステムからこぼれ落ちた感性が、他者との出会いを通じて自分を再発見する。そんな場所が世界にひとつくらいあっても良いのではないでしょうか。私は、この「教えない学校」の価値を信じ続けています。
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