長野県松本市の「奥座敷」として、1300年もの古くから愛されてきた浅間温泉。その地で1832年から暖簾を掲げる「富士乃湯」は、20代目代表の二木伸次氏を中心に、歴史の重みと現代の感性を融合させた経営を続けています。かつては松本藩の藩主も通ったという名湯の地ですが、時代の変化とともに旅館の数は最盛期の3分の1にまで減少しました。しかし、富士乃湯は小規模ゆえの強みを活かし、逆風の中でも確かな輝きを放っているのです。
SNS上では、歴史的なお宝が展示された館内について「まるで美術館に泊まっているよう」との声や、二木氏自らが腕を振るう料理に対して「素材の味が濃く、心に染みる」といった感動の投稿が相次いでいます。団体旅行から個人旅行へとニーズが移り変わるなか、不特定多数ではなく「目の前の一人」を大切にする姿勢が、目の肥えた現代の旅行者たちの心を強く捉えているのでしょう。
受け継がれる歴史遺産と「素人」だからこそ届く味
館内に足を踏み入れると、1887年(明治20年)に旅館業の許可を受けた当時の息吹が感じられます。特筆すべきは、江戸時代に松本藩主から拝領した「裃(かみしも)」や松本城の古地図といった本物の歴史資料が惜しみなく展示されている点です。裃とは武士の正装のことで、こうした貴重な品々が宿泊客との会話のきっかけを生み、滞在に深い文化的価値を添えています。
驚くべきことに、評判の料理を手がける二木氏は、もともと料理の世界では素人だったと語ります。しかし、だからこそ地元の川魚や野菜の魅力を最大限に引き出す手法を独自に追求し、提供することができました。家族3名を中心に、繁忙期でも10名程度の少人数で切り盛りするスタイルが、大手チェーンには決して真似できない「我が家のような温かさ」という付加価値を生んでいるのです。
デジタルとリアルの融合!進化し続ける老舗の挑戦
富士乃湯の凄みは、伝統を守る一方で、20年ほど前からインターネット集客に着手してきた先見の明にあります。旅行会社に依存せず、自社サイトや宿泊予約サイトを駆使した結果、現在ではネット経由の顧客が全体の8割を占めるまでになりました。2016年には「楽天トラベル」のランキングで全国3位に輝くなど、その実力は折り紙付きです。
さらに、2020年1月には客室数を10室から8室へ減らすという、大胆なリニューアルを予定しています。これは規模の拡大を追わず、近年増加しているインバウンド(訪日外国人客)や高齢のお客様へ配慮し、ベッドを備えた快適な空間を確保するためです。「ホテルのような利便性と旅館の日本文化を同時に楽しんでほしい」という二木氏の言葉には、時代に合わせた柔軟な進化の決意が込められています。
浅間温泉観光協会の会長も務める二木氏は、地域全体の高齢化や後継者不足という厳しい現実も見据えています。松本というブランド力を背負い、守るべき伝統と変えるべき形式を丁寧に見極めるその姿は、日本の観光業が目指すべき一つの完成形といえるでしょう。歴史ある源泉かけ流しの湯とともに、富士乃湯の挑戦はこれからも続いていきます。
コメント