星と人類をつなぐ探究心。海部宣男・陽介親子が語る「未知へ挑む」研究者の宿命

偉大な天文学者として名を馳せた故・海部宣男さんと、その息子で人類学者の海部陽介さん。2019年12月03日現在、異なる学問領域で最前線を走る親子には、言葉を超えた深い絆が存在しています。陽介さんの幼少期、父・宣男さんは長野県野辺山の観測所で多忙を極める日々を送り、週末だけ帰宅する生活でした。

家庭はいわゆる放任主義でしたが、家には「岩波少年文庫」をはじめ、科学から歴史まで多岐にわたる書籍が溢れていたといいます。これは、子供が自らの手で興味の種を見つけることを願った父なりの教育方針だったのでしょう。研究者という道を選んだのも、身近にある本や父の姿を通じて、その職業を自然に受け入れていたからかもしれません。

宣男さんはかつて、息子へ「専門特化する前に、まずは幅広い学問に触れなさい」と助言を送ったそうです。この「学際的(がくさいてき)」な姿勢、つまり一つの専門分野に閉じこもらず、異なる領域を横断して物事を捉える考え方は、現在の陽介さんの活動にも色濃く反映されています。親子は互いに刺激し合う同志のような関係だったのです。

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病床で明かされた失敗の記憶と、受け継がれる研究者の魂

2016年に宣男さんの病が判明した際、陽介さんは兄弟と共に父の本音を聞く場を設けました。普段は弱みを見せない父でしたが、人生の最終盤で語ったのは、華々しい成功ではなくプロジェクトの失敗といった泥臭い挫折の経験でした。この交流は、2019年04月に亡くなるまでの3年間、親子が正面から向き合う極めて貴重なひとときとなったようです。

陽介さんは「研究の価値を社会へ届けるには、苦労の過程こそ伝えるべきだ」と父に語り、父もその考えに深く同意したといいます。SNSなどの反応を見ても、研究者が一人の人間として悩み、挑戦する姿に共感する声は多いものです。こうした情報発信の在り方を模索する姿勢こそ、現代の研究者に求められる新しいスキルだと言えるでしょう。

その情熱が形となったのが、台湾から与那国島を目指した丸木舟による実験航海です。日本人のルーツを解明するこの壮大な挑戦は、2019年に見事成功を収めました。ネット上では多くの人々がこの冒険を自分事のように楽しみ、応援していました。宣男さんも生前、この計画の進捗を耳にするたび、一人の研究者として興味深く耳を傾けていたそうです。

父は当時未開拓だった電波天文学を切り拓き、息子は人類学に再現実験という手法を持ち込みました。対象が宇宙か人類かという違いはあっても、「既成概念にとらわれず未知の領域を拓く」という信念は完全に一致しています。私は、こうした親から子への「知の継承」こそが、人類をさらに遠くへ運ぶ原動力になると確信しています。

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