2019年05月、黒鷲旗・全日本選抜大会の準決勝。一人の偉大なエースが、その輝かしい現役生活に終止符を打ちました。JTマーヴェラスのユニフォームを纏い、最後の戦いを終えた栗原恵さんの体は、仲間たちの手によって何度も宙を舞いました。その瞳から溢れ出た涙には、これまでの苦闘と、すべてを出し切った清々しさが同居しているように見えました。
実は昨シーズンの開幕前から、彼女の心の中では引退の決意が固まっていました。しかし、2004年のアテネ五輪を共に戦った吉原知子監督からは「まだコートに立てる」と背中を押され、若い選手たちからも「もっと一緒にプレーしたい」と熱烈なラブコールを受けました。代表を離れて久しい自分が、これほどまでに必要とされる。その喜びが、彼女の決意をより確かなものへと変えていったのです。
エースの宿命と向き合った若き日々
2019年06月に正式な引退を表明した栗原さんは、晴れやかな表情で「最後は心から競技を楽しめた」と語ります。身長187センチから繰り出される豪快なスパイクは、低迷していた日本女子バレー界に希望の光を灯しました。大山加奈さんと共に「メグカナ」の愛称で親しまれ、一世を風靡した彼女ですが、その華やかなスポットライトの裏側では、常に自分を追い込むストイックな日々が続いていました。
SNS上では「彼女の真っすぐな姿勢に何度も勇気をもらった」という声が今も絶えません。彼女にとって日本代表という場所は、常に生存競争が繰り広げられる過酷な舞台でした。北京五輪で不動の主砲として君臨していた時期でさえ、背後から迫りくる影に怯えるような感覚を抱いていたといいます。試合に勝っても自分を褒めることなく、反省点ばかりを探してしまう。彼女はエースという重責を、不器用なまでに真面目に背負い続けていたのです。
挫折を糧に進化を遂げた「大人のバレー」
信念を貫く強さは、時に周囲との摩擦を生むこともありました。若手時代、プレースタイルや方向性の違いから移籍を直訴した際には、周囲から厳しい言葉を浴びせられたこともあります。しかし、1年間の出場停止処分という重いリスクを承知で自分の道を信じた彼女は、移籍後のシーズンで見事にMVPを獲得しました。この「譲れない意志」こそが、彼女をトップアスリートたらしめる源泉だったのでしょう。
一方で、高く跳び、強く打つというプレースタイルは、彼女の膝に大きな負担を強いました。2010年以降、合計3度の手術を経験。リハビリの苦しみの中で迎えた2012年08月のロンドン五輪では、無情にもメンバー外という現実を突きつけられます。この絶望的な状況が、彼女に「今の自分を認める」という新たな視点を与えました。他人の目ではなく、自分自身の進化に目を向けるようになったのです。
キャリア後半、彼女は力任せの攻撃ではなく、経験に裏打ちされた巧みな技術を武器にする選手へと変貌しました。相手の隙を突く軟打(フェイントや緩いボール)や、緻密なコース打ち。30歳を超えてなお成長を楽しむその姿は、多くの後輩たちの手本となりました。バレーボールという競技は、どんなに極めても底が見えない探究心の宝庫なのだと、彼女の歩みは教えてくれます。
現在はリポーターとして新たなキャリアを歩み始めた栗原さん。2020年の東京五輪を目前に控え、コートの外から競技の魅力を発信する彼女の言葉には、酸いも甘いも噛み分けた者にしか宿らない説得力があります。エースとして、そして一人の人間として真っすぐに生き抜いた彼女の第2の人生を、私たちはこれからも全力で応援していきたいと感じずにはいられません。
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