全国屈指の温泉郷として知られる大分県別府市に、1929年に産声を上げた「別府ラクテンチ」という遊園地があります。令和の時代を迎えた今でも、どこか懐かしい昭和の面影を色濃く残すこの場所で、40年以上の長きにわたり「あひるの競走」を守り続けている仕掛け人がいます。
それが、3代目主宰者の野田峰生さんです。毎日のように出走するあひるたちへ熱いエールを送り、彼らの闘志を奮い立たせています。きらきらと目を輝かせた8羽の精鋭たちがゲートに並び、一斉にスタートを切る瞬間は圧巻です。わずか12メートルの直線を猛烈に駆け抜ける姿は、何度見ても胸が躍ります。
SNS上でも「お尻をフリフリして走る姿が健気で可愛すぎる」「レトロな雰囲気に癒やされる」と大評判です。今やスマートフォンやデジカメを手に、その愛らしい勇姿を写真や動画に収める熱心なファンが絶えません。この微笑ましいレースは、世代を超えて多くの人々の心を掴んで離さないのです。
歴史を紐解くと、この名物イベントが始まったのは1950年のことでした。創設者の堀政一さんが戦前に中国で目撃したあひるの大群から着想を得て、地元別府の地にこのユニークな競技場を間借りする形で誕生させました。珍しい催しは瞬く間に噂となり、地域の枠を超えて大きな話題を呼びます。
その後、野田さんの義父である三七男さんが2代目を襲名しました。しかし、彼が病魔に倒れたことで存続の危機を迎えます。この貴重な伝統を途絶えさせてはならないと一念発起した野田さんは、1979年に3代目として跡を継ぐ決意を固めました。そこからあひると共に歩む、壮絶な挑戦の日々が始まります。
実は、あひるを真っ直ぐ走らせるためには、最低でも1年間の緻密な調教が必要です。レースには通常の徒競走に加え、障害物やパン食いといったユニークな種目が用意されています。これらをこなすため、日々の丁寧なトレーニングにより、競技の仕組みをじっくりと体になじませていくのです。
現在、総勢60羽のあひるたちが在籍しており、12羽ずつ5つのグループに分かれる「ローテーション制」が導入されています。これはプロスポーツなどの選手交代システムと同じで、出走メンバーの年齢や運動能力を均一に保ち、常に公平で白熱したレースを展開するための見事な知恵と言えるでしょう。
さらに、12羽という枠組みには、急な体調不良や怪我といった不測の事態に備えるリスク管理の意味も込められています。毎日欠かさず餌の食べ具合や歩き方を観察し、名札がなくても個体を見分ける野田さんのプロ根性には感服します。深い愛情があるからこそ、あひるたちも全力で応えるのでしょう。
幼少期にこの興奮を味わった子どもたちが、やがて親となり、今度は自分の我が子を連れて再び訪れるという美しい循環が生まれています。中には、結婚式の特別な演出としてあひるの競走を熱望するカップルまでいるほどです。これほどまでに人生の記憶に寄り添うイベントは、他に類を見ません。
現在は、息子の圭一郎さんが4代目として頼もしく並び立ち、野田家の家業として未来へ紡がれています。2020年の幕が開け、世間は子(ねずみ)年を迎えましたが、彼らにとっては365日いつでも「あひる年」です。伝統を守りながら常に最高の「今」を届けるその情熱を、これからも応援したくなります。
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