「自分のデータが一体どれほどの価値を持つのか」――。そんな疑問から始まった探求心は、わずか229円という数字に直面し、大きな落胆へと変わりました。しかし、この個人データの価値を公正に評価し、対価を利用者に還元するという、世界でも珍しい取り組みが、いよいよ本格的に始動しようとしています。それが「情報銀行」です。
情報銀行とは、私たち個人から購買履歴や位置情報といったパーソナルデータ(個人情報のうち、特定の個人を識別できる情報や、行動、属性などに関する情報)を預かり、それらを他の企業に提供する代わりに、利用者本人に何らかの便益を還元する事業を指します。この制度を構築した総務省や日本IT団体連盟によると、還元される対価は金銭だけでなく、クーポンや企業独自のサービスなど多岐にわたるといいます。まるで“金利”のように自分のデータがお金を生み出すなら、期待は高まりますが、現実はまだその段階には至っていないようです。
三菱UFJ信託銀行、NTTデータ、富士通など、情報銀行への参入を準備している10社以上に取材を試みましたが、ほとんどの担当者は、肝心な「データ対価」について「未定です」と明言を避けました。2019年6月26日には、三井住友信託銀行とフェリカポケットマーケティングが初の情報銀行として認定されましたが、この2社でさえ、どのデータにいくらの対価を利用者に支払うのか、具体的な基準はまだ決められていない状況です。この対価がなかなか定まらない背景には、三菱UFJ信託銀行の斉藤達哉氏が指摘するように「データの相場がない」という根本的な問題があるからでしょう。前例がない新しいビジネスモデルだけに、預かったデータに対する対価を金銭にするかサービスにするか、その価値をどのように算定するのか、各社とも試行錯誤を続けているようです。
このように、合法的な情報銀行の道のりがまだ定まらない中、個人データが高値で取引されている「闇市場」の存在が浮かび上がります。英国の情報サイト「トップ10VPN」によると、SNS最大手のフェイスブックやEC最大手のアマゾン・ドット・コムのログイン情報が、一人当たり1,000円以上の高値で売買されているというのです。しかし、闇サイト群である「ダークウェブ」での取引は、私たちにとって遠い世界の出来事ばかりではありません。ネット調査を行うスプラウトの高野聖玄社長に助言を求めたところ、筆者のデータも「売りに出されている」という衝撃の事実を告げられました。7年前に発生したデータ保管サービス「ドロップボックス」からの顧客情報大量流出事件。その流出データの中に、筆者のデータも含まれていたのです。
高野社長によると、筆者のデータは既に何度も転売されており、数億人分という膨大な量がセットでわずか9万円という安値で取引されていたとのこと。計算すると一人当たり1銭以下、「タダ同然」の価値しかありません。個人データは新たな「金脈」として経済成長の可能性を秘めている一方で、闇サイトでの売買のように、私たちが知り得ないところで価値が決められ、利用されているという「落とし穴」も至る所に潜んでいるといえるでしょう。この状況を受けて、米国では、個人をデータ提供の担い手である「データ労働者」と位置づけ、その権利を守るための「データ組合」のような組織が必要だという議論が広がりを見せているといいます。日本の情報銀行がこの新しいデータ経済社会において、個人にとって真に頼りになる存在となるのか、その真価が問われている時期なのではないでしょうか。
私自身のデータの価値がいくらなのか。この答えが明確に見えないのは、私だけではありません。世界中の人々が今、この新たなデータ社会という「実験室」の中で生きているのです。テクノロジーを適切に活用できれば、データ経済は大きな成長をもたらすでしょう。困難な課題はありますが、必ず解決の糸口は見つかるはずであり、私たちの前にはデータ経済の大きな可能性が広がっているはずです。
世界をまたぐデータ流通圏の構築へ
データが生み出す経済、いわゆるデータエコノミーは、これからさらなる成長が見込まれています。日本は、このデータエコノミーの進展に合わせた新たな国際的な枠組みづくりを提唱しています。それが「自由なデータ流通圏(データ・フリー・フロー・ウィズ・トラスト、DFFT)」構想です。これは、信頼できるルール、すなわち国や地域間で合意されたルールの下で、データを自由に流通させようという考え方です。
この構想の実現により、国境を越えて個人のデータや産業データが安全に利用できるようになるでしょう。データ取引の増加は、データの公正な相場形成を促し、さらなるデータ流通の活性化につながる好循環を生み出す可能性があります。日本はこのDFFTを、2019年6月に開催される20カ国・地域首脳会議(G20サミット)でも、安倍晋三首相(当時)が各国に呼びかける予定です。
この動きの背景には、世界のデータ経済がブロック化、すなわち国や地域ごとに分断されてしまうことへの強い危機感があります。欧州連合(EU)が世界で最も厳しい水準の個人情報保護ルール(GDPRなど)を整備し、一方の中国は国家主導でデータを囲い込み、独自の経済圏を構築しようとしています。このような各国の制度や価値観の対立がデータ流通の妨げとならないよう、日本は国際社会における仲介役として、その存在感を高めようとしているといえるでしょう。
コメント