お正月の伝統行事といえば、真っ先に「書き初め」を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。実はこの習わし、かつては「吉書初め(きっしょぞめ)」と呼ばれておりました。もともとは宮中、つまり皇室や朝廷で行われていた高貴な儀式だったのです。それが江戸時代に入ると、子供たちの学び舎である「寺子屋」が全国へ普及したことにより、一般の庶民の間にも一気に浸透していきました。当時の人々にとって、新年を祝う大切な年中行事だったことが伺えますね。
そんな新年のワクワクした空気感を生き生きと伝える美術品が注目を集めています。太田記念美術館の主幹学芸員である渡邉晃さんが紹介する、歌川豊国の浮世絵「風流てらこ吉書はじめけいこの図」です。この作品が制作されたのは1805年ごろとされており、当時の子供たちの賑やかな習い事の風景が細部まで克明に描かれています。SNS上でも「現代の書道教室と変わらない空気感に親近感が湧く」「子供たちの表情が豊かで愛らしい」と、大きな反響を呼んでいるのです。
画面の左側に目を向けると、「コの字」の形に並べられた天神机を囲み、寺子たちが一生懸命に手習いへ励む姿が目に飛び込んできます。お手本をじっと見つめながら、助手の人に筆の動かし方を優しく手伝ってもらっている子供が愛らしく描かれました。その一方で、早くも集中力が切れてしまったのか、大きなあくびを噛み殺している子供の姿も見受けられます。いつの時代も、お勉強に飽きてしまう子供の仕草は共通しているようで、思わずクスッと笑ってしまいますね。
当時の教育現場や、お正月のめでたい雰囲気がリアルに伝わってくる点が、この浮世絵の最大の魅力でしょう。画面の右側では、新年の挨拶を交わしているのか、杯を受ける女性の姿が描かれております。彼女こそが、この寺子屋を切り盛りする女師匠です。背後に置かれた机や棚には、筆や半紙、硯(すずり)、そして多くの書物といった書道道具が所狭しと並んでおり、当時の学習環境を知る貴重な資料とも言えます。知的な空間の中に、どこかアットホームな温かさが漂う絵です。
さらに細部を観察すると、師匠の向かい側には、今年から新しく入門すると思われる子供とその親らしき姿が確認できます。彼らの傍らには立派な箱が置かれており、中には寺子屋の仲間たちへ配るための菓子などが詰まっているのでしょう。この箱の表面をよく見ると、「はんもと 西村」という文字が刻まれているのが分かります。これは本作品を出版した「西村屋」という版元の名前であり、現代でいう一種のタイアップ広告のような仕掛けが施されているのが非常にユニークです。
江戸の粋な遊び心が詰まった本作ですが、実は1804年(享和4年)に発売された作品の「後摺(あとずり)」にあたります。後摺とは、一度作られた版画の原版を使い、後から再び印刷する手法のことです。本作は再販にあたって元の年号などが削られていますが、それほど人気が高かった証拠と言えます。メディア編集者である私個人の視点としても、当時の流行を敏感に取り入れて再ヒットを狙うビジネス感覚は、現代の雑誌やWebメディアの運営に通じるものがあり、深く感銘を受けました。
この見事な作品を手掛けた浮世絵師の歌川豊国は、1769年から1825年にかけて活躍した人物です。彼は歌舞伎役者を描いた役者絵や、美しい女性を表現した美人画で一世を風靡しました。それだけでなく、後に大活躍する歌川国貞や歌川国芳といった天才たちを育て上げた名名指導者でもあります。幕末に向けて浮世絵界で最大の勢力を誇ることになる「歌川派」の盤石な基礎を築いた彼の功績は、この素晴らしい作品を通じても現代にしっかりと息づいていると言えるでしょう。
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