1995年1月15日に前人未到の全国7連覇を達成し、日本ラグビー界の歴史にその名を刻んだ神戸製鋼。しかし、そのわずか2日後、チームの本拠地である神戸の街を阪神大震災が襲いました。当時の主将だった大西一平さんは、水や食料の支援に奔走するも、以前から決まっていた東京の大学コーチ就任のため、春には後ろ髪を引かれる思いで被災地を離れることになります。「大変な時期の神戸を置いていってよかったのか」という葛藤は、その後も長く胸の奥に残り続けていました。
転機となったのは2011年の東日本大震災です。大西さんはかつてのライバルだった新日鉄釜石の拠点である岩手県などへ、震災の3日後には現地入りを果たしました。SNS上でも「かつての宿敵のためにすぐに動く姿に、ラガーマンの真のノーサイド精神を見た」と、当時の迅速な行動に多くの称賛の声が寄せられています。大西さんは、避難所生活が長引くにつれて深刻化する、被災者の「生活不活発病」に着目しました。
生活不活発病とは、避難生活や環境の変化によって体を動かす機会が減り、全身の身体機能が低下してしまう状態を指す専門用語です。特に一人暮らしの高齢者は部屋に閉じこもりやすく、歩行能力の衰えが命に関わる問題に発展しかねません。そこで大西さんは整形外科の専門家とも手を取り合い、運動不足を解消するための独自の「ウオーキング教室」を考案しました。歩くことこそが健康の基盤であるという確信が、彼を突き動かしたのです。
2019年9月中旬、福島県郡山市の仮設住宅に作られた集会所には、約50人の高齢者が集まっていました。大西さんの指導のもと、お尻を浮かせて耐える空気椅子テストや、座ったまま足の曲げ伸ばしを行う負荷トレーニングが活気に満ちた雰囲気で実施されています。参加者からは「かなりしんどいけれど、元気に歩くために毎日続けたい」といった前向きな感想が聞かれ、指導者としての経験を活かした分かりやすいアプローチが心を捉えている様子でした。
訪問先が450カ所を超えた現在、大西さんは各自治体で活動を引き継ぐ後進の育成に力を注いでいます。さらに2016年からは、老若男女が3人1組で安全に楽しめる「ストリートラグビー」を健康づくりの一環として導入しました。2019年に日本で開催されたラグビーワールドカップの熱気とも連動させ、ラグビーボールを被災者に配ることで、住民同士が自主的に運動を続けられるような素敵な仕組みも構築されています。
かつて神戸を離れざるを得なかった大西さんが、時を経て東北の地で人々の健康を守るために泥臭く闘い続ける姿には、深い感銘を受けます。スポーツの持つ本当の価値とは、勝利の栄光だけではなく、傷ついた人々の心と体を再生させる力にあるのではないでしょうか。「復興に終わりはない」と語る彼の情熱は、今後も被災地を照らし続けるでしょう。私たちもこの歩みを止めない支援のあり方から、学ぶべきものが多くあるはずです。
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