医療従事者の過酷な労働環境がクローズアップされる中、国内有数の名門病院が劇的な変化を遂げています。聖路加国際病院では、医師の1カ月あたりの平均残業時間を90時間超から30時間台へと大幅に削減することに成功しました。この驚異的な改革を牽引したのが、2005年から院長を務める福井次矢氏です。かつては深夜0時過ぎまで働くことが美徳とされていた医療の聖域で、一体どのような意識変革が行われたのでしょうか。その舞台裏に迫ります。
福井氏が医師の労働時間に関心を持った原点は、若き日の米国留学時代にありました。当時、現地で発生したある医療事故をきっかけに、若手医師の過労と医療ミスとの因果関係が大きな議論を呼んだのです。結果として米国では研修医の労働時間が週80時間までに制限されることとなり、福井氏の心に強い問題意識が植え付けられました。その後、日本国内でも2016年に労働基準監督署の調査が入ったことを機に、同院での本気の取り組みが幕を開けたのです。
「勉強か業務か」の曖昧な境界線にメスを入れる
かつての医療現場では、若手医師が夜遅くまで院内に残って症例を調べるのは「当たり前の光景」でした。しかし、どこまでが自発的な勉強で、どこからが労働なのかという基準は非常に曖昧だったのです。そこで福井院長は、国ですら明確に示せなかった「自己研さん(自らのスキルを磨くための勉強)」の判断基準を独自に表として明文化しました。病院に不必要に残り続けないためのルールをトップ自らが断行した意義は、極めて大きいと言えます。
さらに、聖路加国際病院は「休日・夜間診療」という、最も医師に負担がかかる医療体制の見直しにも着手しました。毎晩30件ほどにのぼる救急搬送に対応するため、かつては平均18人前後だった夜勤の医師数を13人前後にまで削減したのです。加えて、救急を除く土曜日の診療も廃止されました。当初は患者からの不満も懸念されましたが、丁寧な対話を重ねることで、大きなトラブルもなく新しい体制へと移行できたのは見事な成果でしょう。
主治医制の解体とチーム医療への転換
日本の病院特有の文化である「主治医制」にも、福井氏は鋭いメスを入れました。一人の患者を特定の医師が24時間体制で看取る主治医制は、患者側には安心感があるものの、医師の肉体を限界まで追い詰める要因になります。特に夜間の看取りが多い緩和ケア科(心身の苦痛を和らげる専門病棟)では、わずか3人の医師で回すのが限界でした。そこで、米国では一般的である「チーム医療」へと移行し、夜間は当直医が対応するシステムを確立したのです。
このドラスティックな改革により、ネット上やSNSでは「医療崩壊を防ぐための素晴らしい英断」「患者側も夜間面会を控えるなど協力すべき」といった応援の声が続出しています。一方で、夜勤が減ったことで若手医師が激症の急性すい炎といった緊急症例を経験する機会が減るという、教育面での新たな課題も浮かび上がってきました。ベテランのいない夜の現場で責任感を培ってきた医師の育成モデルは、今後変革を迫られるでしょう。
効率化の先にある「プロフェッショナル」の倫理
2020年01月17日のインタビュー当時、福井氏は「2024年に適用される医師への時間外労働の上限規制はクリアできる」と手応えを語りつつも、地方の医師不足病院にはさらなる病院統合が必要だと警鐘を鳴らしています。また、105歳で亡くなるまで24時間患者に向き合い続けた恩師・日野原重明氏の生き方に触れ、「医療は効率だけで割り切れるものではない。時には時間制限を破ってでも目の前の命を救うという、高い職業倫理が必要」とも語りました。
独自の編集部視点として、今回の聖路加国際病院の取り組みは、これまで「聖域」として聖職者的な自己犠牲に頼ってきた日本の医療界に対する、非常に強力な一石であると考えます。もちろん、人命に関わる仕事だからこそビジネスのような完全な効率化は不可能です。しかし、医師が過労で倒れてしまっては元も子もありません。持続可能な医療を維持するためには、私たち患者の側も「いつでも最高の医療を受けられて当然」という常識をアップデートしていく必要があります。
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