戦国時代の覇王として知られる織田信長といえば、天下布武を掲げた激しく乱暴な人物という印象を抱く方が多いかもしれません。しかし、残されている彼の肖像画に目を向けると、そのイメージは大きく覆されます。そこに描かれているのは、驚くほどすっきりと整った端正な顔立ちであり、むしろ伝統的な貴族のような品格さえ漂っているのです。
インターネット上でも「暴君だと思っていたけれど、肖像画を見るとかなりイケメンで驚いた」「文化人としての洗練された美意識を感じる」といった驚きの声が多数寄せられています。信長は京都に上る「上洛(じょうらく)」を果たした後、朝廷や公家が集まる社交界へ見事に溶け込んでいきました。当時の最先端の教養に触れながら、自らもその輪に加わっていったのです。
彼はただ武力で圧倒しただけでなく、公家たちと蹴鞠(けまり)に興じるなど、繊細なコミュニケーションを大切にしていました。さらに、宮廷に仕える女性たちへ季節ごとの贈り物を欠かさないといった、実に見事な気配りを見せています。このような細やかな配慮ができる人物だったからこそ、多くの人々を惹きつけ、時代の先頭を走り続けることができたのでしょう。
肖像画の中で信長が身にまとっているのは、「肩衣(かたぎぬ)」と呼ばれる衣服です。それまでの武士は袖の大きな着物を好んでいましたが、戦国時代という実力主義の世の中で、動きやすさを重視して袖を切り落としたこのスタイルが誕生しました。これは現代の伝統芸能などで見かける「裃(かみしも)」の原型であり、機能美を追求する信長らしい選択だと言えます。
天下人の証!肖像画に刻まれた「桐紋」が持つ歴史の重み
この衣服に描かれている家紋は、有名な木瓜(もっこう)紋ではなく、実は「五三の桐(きり)」でございます。1582年10月に室町幕府を再興した功績が認められ、将軍である足利義昭から授けられた特別なものでした。もともと桐紋は皇室専用の尊いデザインでしたが、歴史の要所で天下を動かした特別な為政者たちへと受け継がれていくことになります。
後に天下を統一する豊臣秀吉も、最高職である関白に就任した際に天皇からこの桐紋を賜りました。信長が手にした最高権力の象徴は、時代を超えて現代の日本政府や内閣の紋章としても息づいています。過去の遺物としてではなく、今の私たちの社会にも繋がっているという事実に、歴史のロマンや計り知れない奥深さを感じずにはいられません。
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