東京オリンピックの開幕まで半年を切り、世界中のアスリートが本番に向けて闘志を燃やしています。しかし、選手たちが戦わなければならないのはライバルだけではありません。「酷暑」という地球規模の巨大な敵が立ちはだかっているのです。SNS上でも「これからの夏五輪は命がけになるのでは」「開催時期を見直すべきだ」といった、選手や観客の安全を危惧する声が多数上がっています。スポーツの祭典は今、気候変動との戦いの場へと姿を変えつつあるようです。
日本経済新聞が2050年の気象予測を分析したところ、衝撃的な未来が浮かび上がりました。なんと世界の大都市の6割以上で、マラソンなどの屋外競技における熱中症リスクが危険水域に達し、「開催困難」になるという結果が出たのです。今回の調査では、人口100万人以上の都市や過去の立候補実績などを踏まえた193都市を対象に、スポーツ科学の分野で競技中止を判断する基準となる「WBGT(湿球黒球温度)」を推計しました。
ここで重要になる専門用語が、この「WBGT」です。これは単なる気温ではなく、湿度や日射量、周囲の風の流れなどを総合的に取り入れた「暑さ指数」のことです。人間の体感温度に非常に近い指標であり、スポーツ医学の現場では、この数値が28度を超えると熱中症のリスクが急激に高まるため、激しい運動の中止や厳重な警戒が推奨されています。過酷な長距離レースであるマラソンにおいては、この指数が開催可否の生死を分ける重要な鍵となります。
実際に東京五輪でも、暑さ対策としてマラソンと競歩の会場が急遽札幌へと変更されました。2017年から2019年における8月の平均指数を見ると、東京は28度を大きく超える29以上を記録していたのに対し、札幌は基準を大幅に下回っていたためです。しかし、2050年にはこうした避難措置すら通用しなくなるかもしれません。基準に照らし合わせると、8月の開催が不可能となる都市は全体の63%にあたる122都市にまで膨れ上がる見込みです。
かつて1970年から2000年までの平均や、近年の2017年から2019年の平均では、開催困難な都市は約4割にとどまっていました。それだけに、今後の悪化スピードの凄まじさが伝わります。アメリカ航空宇宙局(NASA)のデータによると、直近の10年間は観測史上最も世界が高温化した期間であり、特に2019年は過去2番目に暑い年でした。地球温暖化の波は、私たちの想像を超える加速度でスポーツの世界を侵食しているのです。
将来的に五輪の開催が期待されている新興国ですが、ここにも温暖化の壁が容赦なく立ちはだかります。熱心に招致活動を行ってきた東南アジア地域では、マレーシアのクアラルンプールやインドネシアのバンドンなどが候補から脱落し、なんと開催適地がゼロになるという壊滅的な予測が出ています。アジア全体でも適地は半減し、共同開催を目指すソウルと平壌、かつて東京と火花を散らしたアゼルバイジャンのバクーも適地から外れてしまいます。
さらに日射が強く風が弱いという最悪の気象条件をシミュレーションすると、2050年には約8割の都市が開催不能になります。残された適地の7割は、欧米の高緯度地域や南米に偏るのが現状です。競技時間を早朝や深夜にずらす対策も万能ではありません。2019年9月にカタールのドーハで行われた世界陸上では、深夜に女子マラソンを強行したものの、容赦ない暑さで棄権者が続出しました。これを受けて国際オリンピック委員会(IOC)も重い腰を上げ始めています。
しかし、開催時期を秋や冬に動かすのは容易ではありません。その最大の障壁となっているのが、IOCの全収入の3分の1以上を支える「アメリカのテレビ放映権問題」です。米放送大手のNBCは、2014年から2032年までの五輪放映権を総額120億ドル(約1兆3000億円)を超える巨額契約で独占しています。彼らにとって、9月以降はアメリカンフットボールなどの人気スポーツが開幕する時期であり、視聴者を最大化できる7月から8月の開催が絶対条件なのです。
私は、こうした商業至上主義の歪みこそが、アスリートを危険に晒す最大の原因だと考えます。スポーツ医学の専門家が「真夏の開催は無理がある」と警鐘を鳴らす通り、放映権料のために選手の命を危険に晒す興行のあり方は狂気と言わざるを得ません。IOCは特定の巨大メディアに依存する収益構造を脱却し、デジタル企業や新興国企業とのパートナーシップを進めるなど、運営のあり方を根本からアップデートしていくべきでしょう。
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