東京2020への冷めた熱狂?美術家・森村泰昌がセルフポートレートで暴く「ニッポンの空虚」と現代アートの批評精神

オリンピックの開催を控え、街全体が独特の高揚感に包まれている東京で、見逃せない美術展が幕を開けました。品川の原美術館で開催中の「森村泰昌 エゴオブスクラ東京2020――さまよえるニッポンの私」です。30年以上にわたり、自らが作品のモデルとなるセルフポートレートを発表し続けてきた現代美術家・森村泰昌氏の個展が、今まさに大きな話題を呼んでいます。ネット上でも「時代への鋭い批評に鳥肌が立った」「自分自身を見つめ直させられる」と、その挑戦的な内容に驚嘆する声が相次いでいるのです。

本展の入り口で私たちを迎えるのは、衣服を着替えるように真理や思想を取り替えてきたという、作家自身の自己分析を綴った言葉です。彼は名画の登場人物や歴史上の偉人に自らなりすます手法で、日本の大衆文化におけるコスプレや自撮りの流行を何年も前から先取りしてきました。森村氏は、西洋の文化を器用に模倣しながらも、どこか自分らしさの核心を持たない日本人のアイデンティティを「空虚な中心」と表現します。この個展は、私たちが目を背けてきた「日本の自画像」を直視させる刺激に満ちているでしょう。

展示の核となるのが、闇に包まれた曖昧な自我を意味する映像作品「エゴオブスクラ」です。1951年に大阪で生まれた森村氏は、戦後の日本を「母親としての日本」と「父親としての米国」の間に生まれた存在であると位置づけています。作中では彼自身がマッカーサーと昭和天皇に扮し、敗戦直後の有名な2ショット写真を再現しました。背の高いアメリカの司令官と小柄な天皇が並ぶ姿は、まるで奇妙な結婚写真のようです。時代の変化に応じて国のあり方を一変させてきた戦後日本の姿が、そこに重ね合わされています。

急激な社会構造の変化や価値観の転換に対して、かつて激しい言葉で異議を申し立てた文学者が三島由紀夫でした。森村氏は軍服に身を包んだ三島の姿を自ら演じ、その無節操な世の中への痛烈な批判を表現しています。私は、流行や時代の空気に流されやすい現代の私たちこそ、この三島の叫びに耳を傾けるべきだと感じました。一つの価値観に全員が染まることの恐ろしさを、作品は静かに訴えかけています。周囲と同じ意見であることに安心してしまう現代社会への、これは見事な警鐘ではないでしょうか。

さらに注目したいのが、フランスの画家マネの名画「オランピア」をベースにした新作です。マネの原作は、当時の伝統的な女神の絵画をパリの娼婦の姿へと置き換え、美術界に革命を起こしたことで知られています。いわゆる西洋美術の歴史を現代の視点で批判的に捉え直し、新たな価値を与える「換骨奪胎」の試みです。森村氏は初期の作品で自ら横たわる金髪女性を演じ、白人中心の美術史に疑問を投げかけました。今回はその図式をさらに発展させ、白人女性を日本髪の芸者へと大胆に変更しています。

この表現の意図について作家は、西洋の支配構造の中に、かつて日本がアジアに対しておこなった歴史を重ねずにはいられないと語ります。彼が何よりも重んじているのは、物事を一歩引いた視点から客観的に見つめる「批評精神」にほかなりません。直感的に生み出した作品の意味を、後から自分自身で厳しく問い直す。その誠実なプロセスの繰り返しが、彼の芸術を支えてきました。一つの思想に盲従することなく、あえて居心地の悪さを引き受けることで、私たちは初めて本当の思考を手に入れられるはずです。

お祭り騒ぎのようなオリンピックの熱狂の中で、森村氏があえて提示するのは、一歩引いた視点から生み出される「冷めた熱狂」という態度です。意思決定の主体をあいまいにしたまま、令和という新しい時代を迎えた日本は、今も中身が空っぽのまま漂流しているのかもしれません。2020年4月12日まで開催されるこの展覧会は、私たちが普段は見ようとしない日本の本当の姿を突きつけてきます。我を忘れて熱狂する前に、原美術館の静謐な空間で、この鋭い批評精神に触れてみてはいかがでしょうか。

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