2019年4月、新たな学年が始まり、クラス替えで出会った子どもたちとの新しい生活がスタートしました。新年度の学級経営で何よりも大切になるのは、まず児童一人ひとりの特性を深く理解することであり、すべての子どもたちが「学校は安心できる場所だ」と感じられる環境を作り上げることでしょう。そのクラスの中に、群を抜いて個性的な振る舞いをする一人の児童がいました。
その子は、教室では上履きを脱ぎ散らかしたり、椅子に正しく座らずに膝立ちをしたり、床に腹ばいになったりするなど、落ち着きがないように見える行動が目立ちました。授業中も教室を歩き回ったり、寝転がったりする様子が見られ、一見すると授業に集中していないようにも映ります。しかし、彼の授業への参加態度は驚くほど真剣で、特に算数では、クラス全員が「九九の範囲を超えるかけ算をどう解くか」で頭を悩ませた際、「分配のきまり(分配法則)を使えばいい」と、他の追随を許さないほど的確で核心を突いた提案を真っ先に発言したのです。彼は、ただ単に一斉指導の中で大人しく席に着いているという集団行動が苦手なだけであり、知識や思考力は非常に優れていることが分かりました。
当初、筆者である教師も、他の児童と同様にきちんと座るように促していましたが、注意をするとその子は床に寝そべって動かなくなる、という反応を見せました。また、周囲のクラスメートから行動を非難された際も、同様に固まってしまう傾向があったのです。この状況を踏まえ、筆者は指導の方針を大きく転換することにしました。授業に積極的かつ真剣に参加している点に焦点を当てて大いに褒めるようにし、他のクラスメートには、授業を妨害するような行為をしない限り、彼の行動を気にせずそっとしておくよう指導を徹底したのです。この取り組みは、集団生活における多様性の理解を促す第一歩となるでしょう。
一方、この児童の保護者は、わが子の学校での様子を深く心配し、新年度早々に面談を申し入れてきました。面談での会話の中で、筆者の心に強く残ったのは、「集団の中でみんなと同じように『ちゃんとできる子』にしないといけないという気持ちと、この子の個性や光る部分を受け入れて育てていきたいという気持ちが、半々の割合で葛藤している」という保護者の言葉でした。保護者は、わが子がクラスの集団生活に迷惑をかけているのではないかと、深く案じており、その親としての当然の悩みと、学校と協力しようとする姿勢に、筆者は心から感謝の意を表しました。
日本の学校教育における「集団行動」の制約と可能性
現代の日本の学校教育の現場では、「集団行動を乱さないこと」や「行儀よく授業に参加すること」が、往々にして絶対的な善しとされがちです。その結果、本来ならばもっとのびのびと自由な発想で学べるはずの子どもたちが、集団のルールという名の制約によって、その学習スタイルを抑制されているのではないか、という問題意識を抱えています。教育者として、この現状は深く憂慮すべき点だと感じています。もちろん、最低限のルールや規範は必要ですが、全ての子どもを一つの型に押し込めるような教育は、個性を摘み取ってしまう危険性をはらんでいると言えるでしょう。
しかし、この問題は決して解決不可能なものではありません。クラスの子どもたち自身が集団として成長し、互いの個性、すなわちインディビジュアリティを深く理解し合い、それぞれの長所や才能を最大限に活かし合えるような力を身に付けられれば、必ずや乗り越えられるでしょう。誰もが安心でき、かつ個性が輝くクラス、**「インクルーシブな学びの場」を築くためにも、教師として、これからも一人ひとりの子どもと真摯に向き合い、その声に耳を傾けていきたいと強く決意しています。
本記事のような教育現場の実践例は、SNS上でも大きな反響を呼ぶことでしょう。特に「#多様性」「#個性を活かす教育」といったハッシュタグとともに、「集団行動が苦手な子への指導法は本当に難しい」「親の気持ちが痛いほどわかる」「子どもの才能を見つける先生の視点が素晴らしい」といった、共感や賛同の声が多く寄せられることが予想されます。型にはまらない子どもを育てることは、未来の社会を豊かにする「創造性」**を育むことに直結すると、筆者は確信しているのです。
コメント