アフガニスタンに緑の奇跡を。中村哲医師が遺した「希望の種」と山田堰に学ぶ復興の知恵

2019年12月04日、世界中に衝撃と深い悲しみが駆け巡りました。アフガニスタンで長年、人道支援と灌漑事業に心血を注いできた医師、中村哲さんが銃撃され、その尊い命を落とされたのです。現地の報道では、犯行グループが待ち伏せをして執拗に攻撃を加えたという凄惨な状況が伝えられています。SNS上では「信じたくない」「なぜこれほど素晴らしい人が」という悲痛な叫びが溢れ、国境を越えてその死を悼む声が止むことはありません。

中村さんは福岡県出身の医師でありながら、白衣を脱ぎ捨てて重機のハンドルを握り、砂漠を緑に変えるための闘いを続けてきました。「百の診療所より一本の用水路を」という信念に基づき、干ばつに苦しむ人々を救うために彼が手本としたのは、故郷である福岡県朝倉市の「山田堰(ぜき)」でした。これは江戸時代に筑後川に築かれた伝統的な治水施設であり、現代のコンクリート技術に頼りすぎず、現地にある石や竹で補修可能な知恵が詰まっています。

山田堰土地改良区の元理事長である徳永哲也さんは、2019年11月に中村さんと再会したばかりでした。「これからもサポートを続ける」と固い約束を交わした直後の悲報に、言葉を失い震える声でその死を惜しんでいます。中村さんの活動は、単にインフラを整えることではありません。灌漑(かんがい)とは、農地に水を引く技術のことですが、彼はこの技術を現地の人々が自立して管理できるよう、アフガンの技術者を日本に招いて研修を重ねていたのです。

建設コンサルタントの樋口孝さんは、専門外の土木技術を熱心に学ぶ中村さんの姿を鮮明に覚えています。砂漠だった場所に緑の農地が広がり、週末には家族連れが屋台で楽しむ姿を、中村さんは本当に嬉しそうに語っていたそうです。自分の名誉や安全を二の次にし、常に現地の人の幸せだけを願う。そんな無私の精神が、多くの支援者の心を動かしてきました。甘木歴史資料館では、燃料不要で修理も容易な「足踏み脱穀機」を視察するなど、現地の生活に寄り添う姿勢を崩しませんでした。

「アフガンのためなら死んでもいい」と語っていたというエピソードからは、彼の覚悟の重さが伝わります。しかし、その言葉が現実のものとなってしまった悲しみは、あまりに大きすぎます。一人の医師が灯した希望の光は、卑劣な暴力によって消されるべきものではありません。彼が山田堰から学び、アフガンの大地に刻んだ緑の軌跡は、現地の人々や私たち日本人の心の中で、これからも決して絶えることのない平和への道標として輝き続けるでしょう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました