アフガニスタンの希望、中村哲医師が凶弾に倒れる。上皇后美智子さまの和歌から紐解く、慈しみと不寛容の葛藤

2019年12月05日、あまりにも悲痛なニュースが世界を駆け巡りました。アフガニスタンで長年にわたり人道支援と復興に心血を注いできた、ペシャワール会現地代表の中村哲医師が、移動中に何者かの銃撃を受け、73歳でその生涯を閉じられたのです。灌漑事業によって砂漠を緑に変え、人々の命を救い続けた「偉大な医師」の死に、SNS上では「信じられない」「日本が世界に誇るべき人がなぜ」という、言葉にならない悲しみと憤りの声が渦巻いています。

今回のあまりに非情な事件を前に、私たちの心には上皇后美智子さまがかつて詠まれた、ある絶唱が静かに響いてきます。「知らずしてわれも撃ちしや春闌(た)くるバーミアンの野にみ仏在(ま)さず」。この歌は、2001年にイスラム原理主義組織がバーミアンの巨大な石仏を破壊した悲劇を受けて詠まれました。春が深まるなか、かつて慈愛に満ちた姿を見せていた仏の姿が消え去った光景は、現在のアフガニスタンの情勢とも重なり、深い喪失感を私たちに突きつけてきます。

美智子さまが詠まれた「われも撃ちしや」という言葉は、決して他人事としてではなく、自分自身の内面を厳しく見つめる「内省」の現れだと言えるでしょう。これは、人間が他者を排除しようとする不寛容や、憎しみの心を抱くという「原罪」への問いかけでもあります。原罪とは、人間が生まれながらにして持っている根源的な罪深さや不完全さを指す言葉です。私たちは自分の中にも、無意識のうちに他者を傷つける「目に見えない銃弾」が潜んでいるのではないかと、震えるような恐れを抱かざるを得ません。

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気高き信念と不条理な暴力の狭間で

中村哲医師は、現地の治安が悪化するなかでも歩みを止めることはありませんでした。彼が取り組んできた農業用水路の建設は、単なるインフラ整備ではなく、そこに住む人々が自らの手で生活を立て直すための「生きる希望」そのものでした。その功績を称え、アフガニスタン政府は2019年秋に、中村さんに名誉市民権を授与したばかりだったのです。国家の枠を超えて愛された彼が、なぜこれほどまでの不条理な暴力にさらされなければならなかったのか、運命を呪わずにはいられません。

上皇、上皇后両陛下は、平成の時代を通じて幾度も中村さんを皇居・御所に招かれ、その活動を心から見守ってこられました。誠実で献身的な中村さんのお人柄に深く感銘を受け、彼が直面する困難に寄り添い、無事を祈り続けてこられたのです。私たちが信じる「善意」や「平和への祈り」は、過激派組織の台頭という荒波の前に、あまりにも脆いものなのでしょうか。気高く生きる人間の尊さと、それを一瞬で奪う不条理な罪深さが共存する現実に、暗澹たる思いが募ります。

現地の人々も、今まさに深い悲しみの底にあることでしょう。神も仏もいないのかと嘆きたくなるような状況ですが、中村さんが大地に引いた水の流れは、今も乾いた土を潤し続けています。暴力によって彼の命を奪うことはできても、彼が蒔いた希望の種までを消し去ることは不可能です。一人の編集者として、不寛容の連鎖を断ち切るために、私たちがいかに他者と向き合うべきかを、中村さんの高潔な背中から学び、伝え続けたいと切に願います。

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