1980年前後、日本の音楽シーンでも「都会的で洗練されたサウンド」が熱狂的な支持を集めていたことをご存じでしょうか。深夜のハイウェイを駆け抜ける疾走感や、摩天楼の最上階でグラスを傾けるような、大人びた空気感を纏った音楽ジャンルこそが「AOR」です。これは「Adult Oriented Rock(アダルト・オリエンテッド・ロック)」の略称で、若者たちが背伸びをして憧れた、都会的で知的なロックの総称として親しまれてきました。
そんな時代の空気感を象徴する存在として君臨していたのが、伝説的バンド「スティーリー・ダン」です。ドナルド・フェイゲン氏とウォルター・ベッカー氏という、完璧主義を貫く二人の天才によって構成されたこのグループは、1977年10月06日に発表されたアルバム『彩(エイジャ)』などで音楽史に深い爪痕を残しました。しかし、頂点を極めた彼らも1981年には解散の道を歩むことになり、ファンに大きな衝撃を与えたのは記憶に新しい出来事です。
バンド解散から間もない1982年10月01日、中心人物であったドナルド・フェイゲン氏が満を辞して放った初のソロ作品が、今回ご紹介する名盤『ナイトフライ』となります。本作は発売直後から音楽通の間で大きな話題となり、SNSが普及した現代においても「不朽のオーディオ・チェック用音源」として、音質の良さを絶賛する声が後を絶ちません。完璧なアンサンブルと妥協のないサウンドメイクは、まさに時代のマスターピースと呼ぶにふさわしいでしょう。
幻想的な夜のラジオDJが紡ぐ、ノスタルジーと近未来の融合
アルバムのジャケットに写し出されたのは、マイクに向かってタバコを燻らす深夜放送のラジオDJとしてのフェイゲン氏の姿です。この視覚的演出が、アルバム全体に流れる「深夜の幻想」というテーマを象徴的に示しています。1950年代末から1960年代初頭の、科学や未来に希望を抱いていた良きアメリカの記憶を、80年代の高度な録音技術で再構築したその手法は、聴く者を不思議な時間旅行へと誘ってくれるはずです。
私は、このアルバムの魅力は単なる「おしゃれさ」に留まらない、冷徹なまでの美意識にあると考えています。緻密に計算されたドラムのビートや、一音の狂いも許さない楽器の配置は、もはや芸術品の域に達していると言えるでしょう。情緒に溺れすぎず、それでいて聴き手の心に都会の孤独を優しく刻み込むようなドライな感性は、今なお色褪せることがありません。流行に左右されない真の「クール」とは、まさに本作のような音楽を指すのです。
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