富国生命・秋山智史氏が語る「幻の酒蔵」と疎開の記憶。激動の時代に刻まれた父との別れ

富国生命保険の相談役を務める秋山智史さんは、東京に生を受けながらも、多感な青春時代を山梨の豊かな自然の中で過ごしました。その原点とも言える記憶の扉が開かれたのは、今から80年以上も遡る1943年10月28日のことです。当時8歳だった秋山少年を取り巻く環境は、太平洋戦争という時代の荒波によって一変しました。

関東瓦斯(現在の東京ガス)で経理の仕事に就いていた父・懋(つとむ)さんのもとに、一通の「召集令状」が届きます。これは国家が国民を兵役に就かせるための法的命令書であり、当時の家庭にとって避けることのできない過酷な現実でした。一家の大黒柱を送り出す不安の中、秋山さんは母と2人の妹と共に、父の実家がある山梨県へと向かいます。

彼らが身を寄せたのは、山梨県南巨摩郡増穂村(現在の富士川町)に居を構えていた「秋山酒造」という酒蔵でした。戦禍を逃れるために都会から地方へ移り住む「疎開(そかい)」を余儀なくされたのです。現在はもう存在しない、いわば「幻の酒蔵」となったこの場所こそが、秋山少年が幼少期を駆け抜けた大切な遊び場となりました。

SNS上では「今の穏やかな時代からは想像もできない」「酒蔵が遊び場だったなんて、古き良き日本の風景が目に浮かぶ」といった、当時の暮らしぶりに思いを馳せる声が数多く寄せられています。幼い子供たちが親と離れ、見知らぬ土地で懸命に生きた背景には、私たちが決して忘れてはならない歴史の重みが確実に存在していると言えるでしょう。

ビジネス界の重鎮として知られる秋山氏のルーツが、山梨の酒蔵にあったという事実は非常に興味深いものです。困難な時代に培われた精神力や、家族への想いが現在の彼の礎になっていることは間違いありません。歴史の1ページに刻まれた個人的な思い出は、時代を超えて読む者の心に深く語りかけてくる不思議な魅力に満ちあふれています。

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