ミャンマーの魂を1000曲録音!技師・井口寛が惚れ込んだ「自由すぎる旋律」とナガ族の巨大ドラム

2013年、一人の日本人録音技師がミャンマーの地で運命的な出会いを果たしました。井口寛さんは、現地の音楽学科長から「消えゆく伝統音楽を記録したい」という熱い要請を受け、未知なる音の世界へ飛び込んだのです。ミャンマーの古典音楽は楽譜が存在せず、代々「口承」という形で、人から人へと歌い継がれてきました。しかし、担い手の高齢化により、その尊い旋律が失われようとしている危機的状況にあります。

井口さんは2013年から機材を担いで現地入りし、6年間にわたって全土のすご腕音楽家たちを訪ね歩きました。そこで出会ったのは、西洋音楽の常識を覆す驚きの連続だったといいます。ミャンマーの音楽は、複数の楽器が同時に歌のメロディーをなぞるという独特のスタイルを持っていました。音を縦に積み重ねるハーモニー重視の西洋式とは異なり、横に並んで流れていくような旋律は、井口さんの耳に極めて新鮮に響いたようです。

スポンサーリンク

アドリブが躍動する「自由」な調べと、悲願の1000曲達成

ミャンマー音楽の魅力は、その「揺らぎ」にあります。テンポは速くなったり遅くなったりと自在に変化し、豊富なアドリブが飛び交うものの、ここぞという場面では不思議と音がピタリと重なります。カチッと決まりすぎていないからこそ生まれる、圧倒的な臨場感と躍動感。井口さんはこの自由な空気に魅了され、1年の半分近くを現地で過ごすまでになりました。SNS上でも「ミャンマーの音には生命力を感じる」といった音楽ファンからの期待が寄せられています。

たゆまぬ努力が実を結び、2019年9月、ついに目標としていた1000曲の録音を完遂しました。この膨大なコレクションは「Gita Yadana」と名付けられ、2020年にはストリーミングサービス、つまりインターネットを通じていつでも音楽を楽しめる形式で世界へ配信される予定です。これは単なる記録に留まらず、ミャンマーの文化遺産をデジタル化して未来へ繋ぐ、極めて意義深いプロジェクトだと言えるでしょう。

山奥の少数民族「ナガ」が紡ぐ、生活に根ざした歌の力

井口さんの情熱は、さらに奥地の少数民族「ナガ」の調査へと広がりました。100以上の民族が共生するミャンマーにおいて、ナガ族の音楽は生活そのものです。「手伝ったのにごちそうがなかった」といった日常の不満や会話さえも、まるでミュージカルのような歌の掛け合いで行われます。井口さんは2016年から彼らの村に通い詰め、当初はよそ者として相手にされなかったものの、現地の人々の助けを借りて深い信頼関係を築き上げました。

特筆すべきは、100人以上の村人が2週間かけて巨木から作り出す、全長10メートルを超える巨大ドラムの記録です。完成後の祝宴で、たき火を囲み夜通し踊り歌う村人たちの姿に、井口さんは音楽の本質を見たといいます。この貴重な記録は、3枚組CD「VOICE OF NAGA」やDVDとして結実しました。これほどまでに純粋で、内側から溢れ出るようなエネルギーに満ちた音楽が日本で紹介されることは、私たちの感性を大きく揺さぶるに違いありません。

編集者としての私見ですが、井口さんの活動は単なる「音の保存」を超え、人間がなぜ歌うのかという根源的な問いへの答えを提示しているように感じます。効率や正確さが求められる現代社会において、ミャンマーやナガの村々で流れる「自由で不揃いな旋律」は、私たちが忘れかけている心の豊かさを思い出させてくれます。2019年までの活動は一区切りを迎えましたが、世界へこの魅力を発信する彼の挑戦は、これからも続いていくことでしょう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました