北アルプスの雄大な山々が目前に広がる長野県池田町に、創業から120年以上の歴史を持つ老舗の酒蔵があります。それが、地域に根差した「正直な酒づくり」で多くの日本酒ファンを魅了し続ける大雪渓酒造です。同社は、豊富な湧水と良質な米に恵まれたこの地で、一貫して本業である日本酒製造を大切にする姿勢を貫いており、その評価は現在に至るまで揺るぎないものとなっています。同社の歴史と、受け継がれてきた情熱に焦点を当ててご紹介しましょう。
大雪渓酒造の礎は、明治31年(1898年)にまで遡ります。もともと油屋や生糸製造を営んでいた薄井家が造り酒屋を譲り受け、創業者の薄井為次氏が池田醸造合資会社を設立しました。当初の銘柄は、薄井家の家紋にちなんだ「桔梗正宗」、そして後に「晴光桜」へと引き継がれ、地元の人々に愛される銘酒として親しまれてきた歴史を持っています。また、創業者の為次氏が結婚を機に近隣から移築した古民家は、一時倉庫となっていましたが、先代社長の手によって再生され、平成28年(2016年)に直営店「花紋大雪渓」として開業しています。ここは、同社の夢と希望が凝縮された象徴的な場所と言えるでしょう。
同社の名が全国に知れ渡るきっかけの一つとなったのが、昭和24年(1949年)に銘柄を現在の「大雪渓」に変更したことです。この銘柄の書体は、昭和15年(1940年)に2代目社長に就任した薄井計雄氏が支援した歌人、岡麓(おか ふもと)氏が筆を執ったものです。岡麓氏は、アララギ派の著名な歌人として知られており、戦時中に池田町へ疎開する際に計雄氏の支援を受けました。そして、昭和28年(1953年)には、日本酒の品質を競う最も権威ある審査会である全国新酒鑑評会で最優秀賞を獲得し、さらに皇室献上酒にも選ばれるなど、その評価は一気に高まり、現在の社名である大雪渓酒造へと変更するに至りました。
計雄氏から会社を託されたのは、親戚から養子に迎えられた敦行氏(先代社長)です。計雄氏は敦行氏を醸造試験所や卸売会社での修行に出すなど、大切に育て上げました。修行を終えた敦行氏は、若くして後継者となり、当初は年上の社員に囲まれながら、営業時間外にも自ら配達に出向くなど、大変な努力を積み重ねました。そして、昭和56年(1981年)に社長に就任すると、持ち前の好奇心と行動力で経営者としての手腕を存分に発揮しました。様々な企業の工場を見学して学び、地元の精密機器産業の立地が増加した際には、自社の進出までシミュレーションしていたほど、常に会社の未来を真剣に考えていたと言われています。
日本酒業界全体が長期低迷期に入り、先行きに不安が募る時代が訪れます。しかし、敦行氏は「免許で守られている。本業を大切にすることが生きる道」という考えに至り、「正直な酒づくり」という経営理念のもと、地道な研究と努力を重ねることに注力しました。この「正直な酒づくり」とは、奇をてらわず、基本に忠実に、誰もが「やっぱり旨い」と評価する高品質な酒を造り続ける姿勢を指しているのでしょう。この信念があったからこそ、定番の銘柄も高い評価を維持し続けることができたのです。大雪渓酒造では、インターネット通販などで得た資金を投じ、創業以来のシンボルであった主屋の改修にも取り組みました。
先代社長の敦行氏は、主屋の改修を経て直営店「花紋大雪渓」の開業を見届けた後、平成30年(2018年)に病に倒れてしまいます。その志を受け継ぎ、急遽後を継いだのが、敦行氏と結婚した現社長の薄井智哥子氏です。智哥子社長は、敦行氏について「自分がすべきことはできたと思うが、その先も見たかったのでは」と、先代の無念を察しつつ、その遺志を継ぐ決意を固めました。そして、「いつでもどこでも、誰と飲んでも、やっぱり旨いと評価されてきた歴史を引き継ぐのが仕事」だと語り、伝統を大切にしながら、さらなる品質向上を目指しています。
現社長の就任後も、大雪渓酒造は目覚ましい評価を得ています。平成30年(2018年)から翌平成31年/令和元年(2019年)にかけて、権威ある全国新酒鑑評会で金賞を連続受賞しています。さらに、日本酒をワイングラスで楽しむ新しいスタイルを提案する「ワイングラスでおいしい日本酒アワード2019」も受賞するなど、その品質は国内外で認められています。製品に感謝のメッセージを添えるといった、細やかな心遣いにも、代々受け継がれてきた地道な「正直な酒づくり」の伝統と、お客様への真摯な姿勢が感じられます。SNSでは「大雪渓の吟醸酒は安定の美味しさ」「飲み飽きしない、地元を代表する銘酒」といった、その確かな品質を評価する熱い反響が寄せられています。老舗の伝統と革新的な取り組みが融合した大雪渓酒造の挑戦は、今後も目が離せません。
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