1960年代の初頭、現在の東京・代々木公園一帯には「ワシントンハイツ」と呼ばれる米軍の居住施設が広がっていました。近隣の表参道には外国人向けの土産物店が軒を連ね、周辺はまさに異国の情緒が漂う特別なエリアだったのです。当時小学生だった武田展雄氏は、この施設内で催されたガーデンパーティーを目撃し、豪快な肉料理が振る舞われる光景に心を奪われました。この原体験が、海を越えた米国への強い憧れを抱くきっかけとなったのでしょう。
そんな夢を共有していたのが、後にリーマン・ブラザーズ証券の社長を務めることになる桂木明夫氏です。お二人は渋谷区立神宮前小学校、そして原宿中学校を共に過ごした幼なじみでした。武田氏は桂木氏の性格を「自分とは正反対」と分析されていますが、だからこそ惹かれ合う部分があったのかもしれません。桂木氏はスポーツ万能でマラソンでは常にトップを独走し、バレーボール部では主将としてチームを牽引する、まさに生まれながらのリーダーでした。
桂木氏は単なる優等生ではなく、いわゆる「ガキ大将」のような親分肌で、友人の面倒を実によく見ていたそうです。時には自分の信念を曲げず、教師に対しても毅然とした態度を貫く一幕もありました。SNS上では、こうしたエピソードに対して「今の時代には少ない、筋の通ったリーダー像がかっこいい」といった称賛の声や、「原宿がアメリカの空気を持っていた時代を知る世代が羨ましい」というノスタルジックな反響が寄せられています。
夢へのアプローチも対照的でした。桂木氏は1970年代の高校3年時にいち早く米国留学を果たし、一足先に目標を達成します。一方の武田氏は東京大学工学部航空学科へと進み、博士課程を経てようやく留学の夢を掴み取りました。歩むスピードは違えど、二人の根底には常に同じ志があったのです。また、学生時代にはスキーを楽しむために「将来は専用の車を買おう」と、毎月500円ずつ貯金をするという微笑ましい約束も交わしており、その友情の厚さが伺えます。
2008年のリーマン・ショックにより、桂木氏は組織の長として未曾有の荒波に揉まれることとなりました。しかし武田氏は「彼なら最後まで周囲を見捨てず、責任を全うするだろう」と、揺るぎない信頼を寄せていました。長年の付き合いで培われた「人物眼」は、どんな経済危機をも凌駕する絆を証明したのです。2019年11月19日現在も、旧友たちが集う場所は桂木氏の自宅だといいます。立場が変わっても変わらぬ友情が、そこには確かに存在しています。
私個人としては、現代のような変化の激しい時代において、これほどまでに互いを信頼し合える関係性に深い感銘を覚えます。単なる仲良しグループではなく、互いの実力を認め合い、高め合ってきた歴史があるからこそ、何十年経っても酒を酌み交わせるのでしょう。若き日の「米国への憧れ」を原動力に、それぞれの分野で日本の屋台骨を支える存在となったお二人の物語は、夢を持つことの重要性を改めて私たちに教えてくれている気がしてなりません。
コメント