【2019年最新】英語教育改革の真意とは?元中教審会長・安西祐一郎氏が語る「表現する力」の重要性

2019年11月28日、日本の教育界が大きな揺らぎを見せる中で、元中央教育審議会会長の安西祐一郎氏が重い口を開きました。現在、世間の注目は「大学入学共通テスト」の入試手法にばかり集まっていますが、安西氏はこれが単なる入試の見直しではなく、本来は日本の教育そのものをアップデートするための「教育改革」であると力説しています。

特に英語の「書く・話す」という2技能の導入が見送られたことに対し、氏は強い危機感を抱いているようです。ネット上のSNSでも「結局、格差は広がるばかりではないか」といった不安の声が目立ちます。国が主導する以上、責任ある実施は当然ですが、現場での経験不足をどう補うかという議論が置き去りにされた感は否めません。

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「読む・聞く」から「自ら発信する」英語へ

これまでの日本の英語教育は、いわゆる「受動的」な学習に重きを置いてきました。教科書を読み、音声を聴き取る力については、世界的に見ても高い水準にあるかもしれません。しかし、安西氏は、これからの時代を生き抜くために必要なのは、自分の意見を構築し、相手に届ける「表現力」であると断言しています。

ここで言う「高大接続(こうだいせつぞく)」とは、高校教育と大学教育、そしてそれらを結ぶ大学入試を一体となって改善しようという考え方です。入試が変わらなければ、学校現場の授業内容を変えることは現実的に難しいという側面があります。だからこそ、入試に記述式やスピーキングを導入することには大きな意味があったのです。

「表現力」を養うには、単に単語を暗記するだけでは不十分です。相手が理解しやすい言葉を選び、状況に応じて使い分けるトレーニングが欠かせません。短く論旨を明快にし、かつ相手の立場を尊重しながら伝える力こそ、英語のみならず国語や数学においても共通して求められる、これからの基礎学力といえるでしょう。

広がる教育格差への懸念と未来への議論

もし公的な試験で「書く・話す」力が測られなくなれば、都市部の裕福な家庭は学校外の塾などでその力を補い、地方や経済的に厳しい家庭との間で深刻な「格差」が生じる恐れがあります。安西氏は、すべての子どもたちが等しく表現する力を学べる環境を、公教育の場で提供したかったという切実な想いを語っています。

私個人としても、この問題は「できる・できない」の二元論で終わらせてはいけないと感じます。現場が混乱しているからといって議論を止めてしまえば、その間にも時代は刻々と変化し、子どもたちは成長してしまいます。現状維持を望む声も、変化を求める声も、互いの根底にある理由を突き詰め、建設的な対話を急ぐべきです。

2019年11月現在、私たちが議論すべきは「どの試験を使うか」という技術論だけではありません。「どのような力を子どもたちに持たせて社会へ送り出すか」という、教育の本質に向き合う姿勢が問われています。立ち止まっている時間は、もう一刻も残されていないのです。

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