2019年11月29日、中学受験の本番まで残り約2カ月という時期を迎え、都市部を中心に受験熱が一段と高まっています。しかし、その影で深刻な問題となっているのが、親による過度な学習指導です。子どもの将来を願うあまり、いつの間にか「教育虐待」という一線を越えてしまう家庭が少なくありません。
教育虐待とは、教育という名目で行われる行き過ぎた指導や拘束を指します。具体的には、子どもの心身のバランスを崩すほどの過剰な負担を強いることや、思うように進まないことに苛立って暴言・暴力を振るうことが含まれます。何より恐ろしいのは、多くの親に加害の自覚がないという点でしょう。
「良かれと思って」が招いた親子の断絶
神奈川県に住む44歳の会社役員の男性は、かつて息子を追い詰めてしまった経験を深く後悔しています。自身が高学歴だったこともあり、「息子にも同じような幸せを」と願って指導に熱を上げました。毎晩深夜まで勉強を強要し、できないと怒鳴り散らし、時には体に傷を負わせることもあったそうです。
ある日、息子が喜び勇んで正解を見せた際、男性は「他ができていない」と一蹴してしまいました。この一言を境に、息子は学校にも塾にも通えなくなりました。SNS上でも「親の期待が重すぎて息ができない」「褒められた記憶がない」といった、元受験生たちの悲痛な叫びが散見されます。
親が子どもの人格を否定する言動は、子どもの自己肯定感を根底から破壊します。近年では、親自身が受験経験者であるケースが増えており、自分の成功体験を子供に投影しすぎるリスクが指摘されています。専門家は、不眠や体調不良といった子どものSOSを見逃さないよう、強く警鐘を鳴らしています。
悲劇を繰り返さないために必要な視点
2016年に名古屋市で起きた、父親が中学受験を控えた長男を刺殺するという痛ましい事件は社会に衝撃を与えました。2019年11月27日の控訴審でも、父親の厳しい指導の背景に自身が受けた過酷な教育環境があったことが判明しています。負の連鎖を断ち切ることは、現代の教育現場において急務です。
私は、中学受験を「家族のプロジェクト」と捉える風潮そのものに危うさを感じます。本来、学びは喜びであるはずなのに、偏差値という物差しだけで子どもの価値を測ってしまえば、親はいつの間にか「指導者」ではなく「監視者」へと変貌してしまいます。受験の結果よりも、子どもの心が健康であることを最優先すべきです。
2004年1月から2018年3月までの間に、教育やしつけを理由とした虐待で87名もの尊い命が失われています。合格の二文字のために子どもの笑顔を奪うことは、本末転倒と言わざるを得ません。どの家庭でも起こりうるこの問題に対し、今一度「何のための受験か」を冷静に問い直す必要があるでしょう。
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