2019年12月11日、日本を代表するプロトレイルランナーである鏑木毅さんが、自身の連載「今日も走ろう」の中で、昨今世間を騒がせている「教育格差」について極めてパーソナルな体験を交えたメッセージを発信されました。文部科学大臣による「身の丈」発言が波紋を広げる中、鏑木さんは自らの原風景を振り返り、教育のあり方に一石を投じています。
鏑木さんの幼少期は、決して恵まれたものではありませんでした。群馬県の専業農家に生まれた彼は、早朝から深夜まで働き通しの両親のもとで育ちます。驚くべきことに、小学校入学時にクラスで唯一「自分の名前」すら書けなかったといいます。これは本人の怠慢ではなく、親が文字を教える時間すら持てないほど過酷な労働環境にあったことが原因でした。
SNSではこの告白に対し、「トップアスリートの意外すぎる過去に驚いた」「環境の差がいじめに直結する現実が辛い」といった共感の声が多数寄せられています。名前が書けないことでいじめに遭い、出口の見えない閉塞感に苛まれていた少年時代の鏑木さん。しかし、その苦い経験こそが、後に彼を突き動かす強烈な原動力となったのは間違いありません。
学歴コンプレックスを越えて掴んだ「夢先生」としての誇り
中卒の父と高卒の母は、自身が抱える学歴への強い劣等感を糧に、息子には教育を受けさせようと必死でした。娯楽や旅行を一切断ち切り、捻出した資金で鏑木さんを2年間の浪人生活へと送り出したのです。両親の献身的な支えにより、彼は希望の大学への切符を手にしました。この不屈の精神は、現在の過酷なトレイルランの世界にも通じているのでしょう。
先日、2019年11月下旬に埼玉県内の小学校を訪れた鏑木さんは、「夢先生」として壇上に立ちました。「夢先生」とは、日本サッカー協会(JFA)などが推進するプロジェクトで、現役・引退後のアスリートが自身の挫折や成功を子どもたちに伝える授業のことです。ここで彼は、格差を乗り越えてきた自らの半生を飾ることなく語りかけました。
教育現場では「義務教育」という制度によって機会の平等が保たれているように見えますが、実情は異なります。親の所得や学歴が子どもの進学率に直結する「階層化」が進行しているのです。生活に追われる家庭では、学習をサポートする時間も経済的余裕も確保できません。これは個人の「努力不足」という言葉だけで片付けられる問題ではないはずです。
国の根幹を揺るがす格差社会への危機感
鏑木さんは、経済的理由で夢を諦める社会が定着すれば、若者の学習意欲や労働意欲が減退し、日本の国力そのものが衰退していくと警鐘を鳴らしています。私も一編集者として、彼の意見に強く同意します。生まれた環境という「運」だけで人生が決まってしまう社会に、果たして明るい未来を描けるのでしょうか。
現在、官民を挙げた学習支援システムが動き出していますが、鏑木さんの目には、それらはまだ不十分であると映っています。地域社会全体で子どもたちを支える仕組みを、今こそ本格的に構築しなければなりません。学校で見せた子どもたちの輝く瞳を守ることこそが、私たち大人の、そしてこの国の最優先事項であるべきだと痛感させられます。
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