野球を愛する者なら、一度はその名を耳にしただけで胸が高鳴るブランドがあります。それが「久保田スラッガー」です。石毛宏典氏や松井稼頭央氏、そして現役で活躍する浅村栄斗選手など、名だたる名手が愛用するこのグラブの裏側には、一人の伝説的な職人の存在がありました。
2019年12月12日現在、福岡支店で顧問を務める江頭重利さんは、御年87歳にして現役の職人です。2012年には、その卓越した技能が認められ「現代の名工」にも選出されました。彼が守り続けるのは、かつては球界のタブーとされていた「湯もみ型付け」という独自の技法です。
常識を覆す「湯もみ」の魔法と職人のこだわり
一般的に、革製品であるグラブにとって水分は天敵と考えられてきました。しかし、江頭さんはあえて45度ほどもある熱い湯にグラブを浸します。この熱によって革を柔軟にし、選手の手に即座に馴染む理想的な形を作り上げるのです。まさに、顧客の要望から生まれた究極のサービスと言えます。
作業はまず、新品のグラブを分解することから始まります。「親指の付け根が膨らんでいては捕球を妨げる」と、江頭さんは内部のパーツを削り、細部まで調整を怠りません。その後、湯に浸してからは、木づちで叩きながら「ポケット」と呼ばれるボールを収めるための窪みを丹念に形成していきます。
このポケットの位置が、プロの勝敗を分ける鍵となります。江頭さんが提唱するのは、手のひらの中央で捕球するスタイルです。網の部分で捕ると、次の送球動作へ移る際にコンマ数秒の遅れが生じますが、手のひらで捕れば素早い持ち替えが可能になり、アウトを取る確率が飛躍的に高まるのです。
プロが惚れ込む徹底した現場至上主義
久保田運動具店の強みは、社員全員が職人であるという点に尽きます。試合中も球場で待機し、イニングの合間にグラブの紐を直す機動力は、他社の追随を許しません。SNSでも「スラッガーの型付けは別格」「守備が上手くなった気がする」といった、道具への信頼を寄せる声が絶えません。
驚くべきは、他メーカーと契約しているスター選手の中にも、ラベルを張り替えてまでこのグラブを使いたがる者がいるという事実です。広告宣伝に頼らず、「製品の良さを理解してくれる人に使ってほしい」という久保田社長の硬派な姿勢が、本物を求めるアスリートの心を掴んで離さないのでしょう。
「常に改良を加え、新しいものを作りたい」と語る江頭さんの情熱は、2019年の今も燃え続けています。単なる道具を超え、選手の体の一部となるグラブ。その一筋のこだわりこそが、日本のプロ野球における華麗な守備を支える「縁の下の力持ち」となっているのは間違いありません。
私自身、最新のテクノロジーが普及する現代において、あえて手間のかかる手作業にこだわり、選手の感覚を最優先する江頭さんの哲学には深い敬意を表します。効率化ばかりが叫ばれる世の中ですが、こうした「魂の宿る仕事」こそが、文化としての野球を豊かにしているのだと強く感じました。
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