1998年に社長に就任して間もない頃、最高技術責任者の斎藤俊次郎氏が私の元を訪れ、携帯電話向けの「二次電池」事業への参入を熱心に提案してきたことがありました。二次電池とは、使い捨てではなく充電して繰り返し使える電池のことで、当時はまさにモバイル時代の幕開けを感じさせる有望な分野でした。しかし、過去にTDKが電池事業で苦戦した経緯もあり、本業から外れるのではないかと私は当初、難色を示していたのです。
ところが、斎藤氏は「わが社は東京電気化学工業という名前ではないですか」と、社名のルーツを引き合いに出して私を説得しました。電池こそが電気化学の真髄であるという情熱に押され、私は30億円を投じて最新の自動生産ラインを整備し、大手モトローラへの供給を目指しました。しかし、結果は惨敗でした。安全性を確認するための「釘刺し試験」すら初めて経験するような状態だった私たちは、高い要求水準に応えられず、最終的に50億円という巨額の損失を出して撤退を決めたのです。
香港での偶然の出会いがもたらした「世紀の買収」
苦い経験から電池事業を諦めていた2004年、香港の磁気ヘッド子会社幹部であるレイモンドから、ある電池会社を買収してほしいという提案が舞い込みました。正直なところ、当時の私は「またか」という思いでした。それでも、電池の知識を少しは身につけていたため、半分は冷やかしのような気持ちで香港の工場を視察しに行くことにしたのです。しかし、そこで出会ったチェン氏とロビン氏という二人の経営者が、私の考えを根底から覆しました。
彼らのビジネスに対する深い洞察力と、無駄のない説明には確かな信頼感がありました。工場自体は靴工場の跡地を利用した古い建物でしたが、重要な工程には最新鋭の機械を導入するというメリハリの利いた運営に驚かされました。何より、従業員一人ひとりを尊重する姿勢に心を打たれ、私は約90億円での買収を決断しました。この会社こそが、現在のTDKの利益を支える大黒柱「アンペレックステクノロジー(ATL)」へと成長を遂げたのです。
現在、ATLはスマートフォン向け電池で世界シェアの約半分を占めるまでに成長しました。かつての失敗を含めた投資額は約140億円ですが、今やそれ以上の価値を生み出しています。経営というものは、自分の不得意な分野を補ってくれる仲間に恵まれるかどうかが重要であり、それは実力だけでなく「運」も大きく関係していると痛感します。失敗を恐れず挑戦し、素晴らしいチームと出会えたことが、TDKを価値ある企業へと変える鍵となったのでしょう。
SNSなどでは、かつてTDKが電池事業で失敗した過去を知る人々から「あの時の撤退がなければ、今の成功もなかったのではないか」といった声も上がっています。失敗を「高い授業料」として飲み込み、次のチャンスを冷静に見極めた当時の経営判断は、まさに今のハイテク業界における教科書のような事例と言えるのではないでしょうか。失敗から学び、異分野の才能を信じ抜く力こそが、劇的な飛躍を生むのだと私は確信しています。
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