公正な市場競争を守るための「独占禁止法(独禁法)」の適用範囲が広がるにつれて、企業の間に大きな動揺と緊張が走っています。特に情報技術(IT)をはじめとする新しいデジタル分野では、何をもって「市場の独占」とみなすかの基準が世界的に定まっていません。そのため、どのような行為が法律違反になるのかという境界線が、極めてあいまいに見えてしまうのです。
インターネット上のSNSでも、この問題には「新興企業のイノベーションを潰さないでほしい」という懸念や、「巨大IT企業の横暴を取り締まってほしい」という期待が入り混じり、活発な議論が交わされています。ルールによる規制と、企業の革新的な挑戦のバランスをどう保つべきなのでしょうか。日本の公正取引委員会(公取委)にも、世界水準の厳しい執行力が今、まさに求められています。
「優越的地位の乱用」をめぐる企業と当局の激しい攻防
象徴的な動きとして、家電量販店のエディオンは2019年11月に公取委の審決の取り消しを求めて東京高等裁判所に訴えを起こしました。事の発端は2012年にまでさかのぼります。公取委は、エディオンが取引先に対して商品の搬入や陳列を不当に行わせたとして、約40億円の課徴金(違反行為に対する事実上のペナルティとなる制裁金)の納付命令を出しました。
この決定を不服としたエディオン側は徹底抗戦を続け、2019年10月に公取委は課徴金を約10億円減額する判断を下したものの、企業側は「大手の製造業者に対して自社が有利な立場(優越的地位)に立てるわけがない」と憤りを隠しません。企業にとって、経営責任に直結する法的処分はブランドイメージに大打撃となるため、絶対に譲れない戦いなのです。
独禁法上の「優越的地位の乱用」に課徴金が導入された2010年以降、命令を受けた5社すべてが司法の場で争う姿勢を見せています。公取委の担当者も、企業間の明確な合意がある「カルテル」とは異なり、立場が優位であるかどうかの認定は線引きが非常に難しいと漏らしています。実際、公取委によるこの分野の課徴金命令は2014年度を最後に途絶えています。
明確な違反認定を避ける公取委の「ジレンマ」と新たな手法
実例が少ないネットサービスなどの新分野では、企業も当局も手探りの状態が続いています。2019年4月にアマゾンジャパンがポイント還元の原資を出店者に負担させようとした問題では、同社が計画を撤回したため公取委は調査を打ち切り、違法かどうかの明確な判断を避けました。専門家からは、違反認定の難しさに直面した公取委のジレンマが指摘されています。
こうした背景から、公取委は厳しい処分を下す代わりに、あらかじめガイドラインを示す手法へと舵を切り始めました。2019年10月にはデジタルプラットフォーマー(巨大IT企業)の取引慣行について、続く2019年12月には個人情報の取り扱いに関する指針を公表したのです。これは企業に不意打ちを与えないための配慮ですが、効率的な「安上がりな手段」という声もあります。
一方で、経済界からは警戒の目が向けられています。経団連は公取委の裁量権が広がりすぎることに懸念を示しており、ルールがあいまいなままでは企業が萎縮し、新たなビジネスを生み出すイノベーションの芽が摘まれてしまうと主張しています。取り締まりを強化するあまり、日本の経済活力を奪ってしまっては本末転倒だと言えるでしょう。
欧米の強力な権限に学ぶ、日本版「アメとムチ」の模索
海外の競争当局は、巨大IT企業に対して巨額の制裁金を科すなど、圧倒的な権限と専門人材を武器に毅然とした態度で臨んでいます。例えば欧州委員会は、世界の年間売上高の最大10%を制裁金として科す強力な権限を持っています。また、米国の連邦取引委員会(FTC)はITに精通した専門家を引き抜き、監視の目を光らせています。
こうした世界標準の動きに追いつくため、日本の公取委も変わり始めています。2020年末の施行を目指す改正独禁法では、調査への協力度合いに応じてペナルティを減額する「裁量型課徴金」制度が導入されます。これまでの日本の調査は、関係者の証言(供述調書)を重視するあまり効率が悪く、十分な摘発ができていないという批判があったためです。
さらに、2018年12月からは企業が自主的に改善計画を提出すれば処分を免除する「確約手続き」の運用も始まり、2019年10月には旅行サイトの楽天に対して初めて適用されました。しかし、同時に調査された外国系企業からの反応は薄く、国内外の企業を問わずに対等な調査を行うためのノウハウ蓄積が今後の大きな課題となっています。
「吠えない番犬」からの脱皮と、日本経済が目指すべき未来
かつて「吠えない番犬」と揶揄された公取委ですが、その歴史を振り返ると、外国からの圧力(外圧)や消費者の不満が高まった瞬間に強い存在感を示してきました。1947年にGHQの指示で誕生した当初は活躍の場がありませんでしたが、1974年の石油ヤミカルテル事件や、1989年からの日米構造協議を機に、法改正を重ねて権限を強化してきた経緯があります。
私は、今回の公取委の積極的な姿勢を基本的には支持すべきだと考えます。グローバル化が進む現代において、日本だけが巨大IT企業の監視の「抜け穴」になることは絶対に避けなければなりません。適切な競争環境が守られてこそ、一般の消費者や真面目な国内中小企業の利益が守られるからです。
ただし、当局の独善的な権限強化に偏ることは危険です。2020年度には公取委内に「デジタル経済対策室」が新設され、専門体制が整いつつあります。この新しい力が、単なる「企業の足かせ」になるのではなく、公正な競争を通じて日本発のイノベーションを刺激する健全な触媒となること。それこそが、これからの公取委に求められる真のバランス感覚です。
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