現代の日本において少子化は急速に進んでおり、近年の出生数は年間100万人を割り込む水準となっています。戦後すぐの第1次ベビーブーム期には約270万人、それに続く第2次ベビーブーム期には約210万人の赤ちゃんが誕生していました。当時の活気あふれる時代と比較すると、現在の落ち込みがいかに深刻であるかが分かります。SNS上でも「これからの日本はどうなるのか」といった将来への不安の声が、毎日のように数多く投稿されている状況です。
このような状況の中、子どもを持つという選択を経済学の視点から紐解くと、興味深い事実が見えてきます。実は親となる人々は、ある決定を下す際に「トレードオフ」、つまり何かを得るために別の何かを犠牲にする関係に直面しているのです。具体的には、子どもを育てることで得られる価値と、それに伴う負担を天秤にかけて意思決定を行っています。この一見すると冷徹にも思える合理的な選択が、現在の家族の姿を形作っているのでしょう。
もちろん、子育てや教育には多額の金銭的費用が求められます。さらに共働きの世帯が増加している現代では、子どもがいなければより長時間働いて収入を増やせるため、子どもを持つことの「機会費用」が非常に高くなっています。この機会費用とは、ある選択をしたことで諦めざるを得なくなった利益を指す言葉です。仕事を優先すれば得られたはずのキャリアや収入が、育児によって制限される損失を意味するといえます。
一方で、子どもがもたらす便益も存在します。我が子の成長を実感すること自体から得られる精神的な満足感はもちろん、将来の労働の担い手や介護など、老後の支えとしての期待も挙げられるでしょう。両親はこれら全ての便益が費用を上回ったとき、初めてもう1人子どもを産む選択をします。つまり、個人の自由な選択の結果として現在の出生数があるならば、経済学的には子どもの数が少なすぎるということはなく、むしろ適切な数が生まれていると判断できます。
それでは、なぜ世間ではこれほどまでに少子化が社会の大きな問題として騒がれているのでしょうか。その鍵は、子を持つ行動が親以外の第三者に影響を及ぼす「外部性」という現象にあります。日本の公的年金は、現役世代が支払う保険料をそのまま高齢者の給付に充てる「賦課方式(ふかほうしき)」を採用しています。つまり、誰かが子どもを産み育てることは、将来の年金制度を支える新たな納税者を社会に提供する福祉的な便益を生み出しているのです。
SNSでは「他人の子どもに自分たちの老後を支えてもらう仕組みはおかしい」といった、現行の年金制度に対する不満や疑問が噴出しています。国が少子化を危機だと主張する本当の理由は、親が希望する子どもの数よりも、現在の年金制度を維持するために必要な子どもの数のほうが圧倒的に多くなってしまっているからに他なりません。問題の本質は人口減少そのものではなく、現在の日本の社会保障システムが抱える構造的な歪みにあると言わざるを得ません。
もしも、自分が支払った保険料を将来のために貯蓄していく「積立方式」の年金制度であれば、状況は一変します。自分が納めたお金は将来の自分に返ってくるため、他人が子どもを産むか否かは自身の年金額に影響せず、外部性も発生しません。したがって、子どもが少なすぎるという議論の経済学的な根拠を見いだすのは極めて困難です。国はただ出生数を増やすよう求めるのではなく、時代に合わせた制度自体の抜本的な改革へ舵を切るべきではないでしょうか。
コメント