「お魚くわえたドラ猫」というフレーズを聞いて、誰もが国民的アニメの主題歌を思い浮かべることでしょう。しかし、そもそも「ドラ猫」とは一体どのような存在を指すのでしょうか。沼田朗氏の著書『ドラ猫進化論』は、そんな身近な疑問を出発点に、生物学や人類史、さらには日本の住宅事情に至るまで、猫の視線を通して社会の変遷を鮮やかに描き出した一冊です。SNS上でも「当たり前だと思っていた言葉の深さに驚いた」「猫の目線で歴史を見るのが新鮮」と、そのユニークな切り口が大きな話題を呼んでいます。
本書によれば、飼い主のいない「野良猫」に対し、盗み食いをするような不届きな猫を「ドラ猫」と呼びます。この「ドラ」という言葉には、実は「道楽者」や「放蕩者」といったニュアンスが含まれているというから驚きです。著者の調査によれば、このように猫を擬人化し、遊び歩く者として認知する文化は日本独自のものだといいます。平安時代の文献に初めて登場して以来、日本人は猫に対して単なるペット以上の、どこか人間臭い愛着を抱き続けてきたのかもしれません。
歴史を紐解くと、江戸時代以前の日本では、意外にも飼い猫が綱でつながれている光景が一般的でした。これは当時の猫が非常に高価で貴重な存在であり、ネズミから農作物を守る「益獣(えきじゅう)」として重宝されていたためです。著者は、こうした猫を取り巻く厳しい環境や、ネズミ、蚕(かいこ)、魚といった生き物との複雑な相関関係を、独自の視点で緻密に考察しています。生きるために知恵を絞る猫たちの姿には、人間社会の縮図を見るような面白さが詰まっていると言えるでしょう。
猫の居場所が教える住宅の変遷と、失われた「黄金期」の記憶
本書の白眉とも言える点は、猫の「居場所」の変化から日本の住宅史を鋭く分析していることです。かつて猫たちは、暖を求めて竈(かまど)や火鉢のそばに集まり、獲物を追って床下や屋根裏を縦横無尽に駆け巡っていました。昭和の戦後復興期になると、住宅街に立ち並んだブロック塀が彼らの新たな通り道として機能するようになります。こうした多様な空間を自由に行き来できた時代こそ、ドラ猫たちにとっての「最後の黄金期」だったと著者は指摘します。
一方で、現代の日本における住宅事情は、猫にとって決して優しくはありません。気密性の向上や土地の有効活用により、彼らが得意とする上下の移動が可能な隙間や遊び場が激減してしまいました。かつてのドラ猫が謳歌した「自由」は、効率化を求める人間社会の発展と引き換えに失われてしまったのです。父であり作家の沼田陽一氏の背中を追うように動物を見つめてきた著者の筆致からは、単なる観察を超えた、猫たちへの深い敬意と哀愁が感じられます。
私はこの記事を読んで、私たちが暮らす都市のあり方は、実は猫たちの住みやすさと直結しているのだと痛感しました。ドラ猫が姿を消していく過程は、日本社会から「ゆとり」や「寛容さ」が失われていく過程と重なって見えるからです。効率を優先するあまり、多様な生き物が共生できる隙間を埋めてしまった現代社会に、本書は猫の目線を借りて警鐘を鳴らしているように思えてなりません。2019年08月10日の発行以来、多くの読者の心を掴んで離さない理由がそこにあるのです。
コメント