戦後外交の闇を照らす新事実!1955年の重光・ダレス会談にみる「集団的自衛権」の知られざる原点

2019年12月25日、外務省は歴史のベールに包まれていた外交文書15冊を一挙に一般公開しました。今回の公開で特に注目を集めているのが、1955年に行われた重光葵外相とダレス米国務長官によるトップ会談の記録です。そこには、現在の日本の安全保障を揺るがす重大なキーワードが刻まれていました。

公開された文書によれば、1955年8月30日にワシントンで行われた会談で、重光外相は驚くべき提案を行っています。当時、米軍の日本防衛義務が明記されていなかった「旧日米安保条約」の改定を求め、西太平洋地域での「相互防衛」の構築を米国側に打診していたことが判明したのです。

この「相互防衛」とは、簡単に言えば「集団的自衛権」の行使を想定したものです。集団的自衛権とは、自国が直接攻撃を受けていなくても、密接な関係にある他国が攻撃された際に協力して反撃する権利を指します。SNS上では「昭和30年代に既にこの議論があったとは驚きだ」といった声が相次いでいます。

会談の中でダレス長官は「グアムが攻撃された場合はどうなるのか」と、日本側の覚悟を厳しく問いました。これに対し重光外相は、自衛が目的であれば兵力使用の協議は可能であると回答したのです。しかし、ダレス氏は「憲法が許さなければ意味がない」と一蹴し、当時の日本側の姿勢を冷静に見極めていました。

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現代へとつながる安全保障の議論とその課題

1954年に自衛隊が発足した直後、参議院では「自衛隊の海外出動を禁止する決議」が採択されていました。このような国内情勢の中で、重光外相が踏み込んだ発言をしていた事実は非常に重い意味を持ちます。専門家からは、これが後の安保改定に向けた布石であったとの見方も出ています。

日本大学の信夫隆司教授は、この重光氏の考え方が、2014年に安倍政権が閣議決定した「集団的自衛権の限定的な行使容認」に近い発想であると分析しています。一方で、当時は政府の公式見解が固まっておらず、現代の状況と単純に比較するのは難しいという慎重な意見も根強く存在します。

今回のような外交文書の公開は、民主党政権時代の2010年に「30年経過した文書は原則公開する」というルールが定められたことで加速しました。しかし、北方領土交渉や沖縄返還に関する一部の記述は依然として黒塗りのままであり、歴史の真実にたどり着くにはまだ高い壁があるのが現状です。

私たちは、過去の指導者たちがどのような葛藤の中で国を守ろうとしたのかを知る権利があります。重光外相の野心的な提案が、長い年月を経て現代の法整備に重なって見えるのは、単なる偶然ではないでしょう。安全保障の在り方を、私たち一人ひとりが改めて問い直す時期が来ているのかもしれません。

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